【第72回】森の話、木の話 ― その3

学長コラム 2020.3.27

「森の話、木の話」の第3弾は、創られた森守られた森の続編です。
出典は、自分の記憶によるほかは
主として、井原俊一さんの「日本の美林」(岩波新書)によっています。

 

襟裳(えりも)の森―豊饒(ほうじょう)の海

“風はぴゅーぴゅー、波はどんぶりこ”(島倉千代子)
“襟裳の春は、なにもない春です”(森進一)

これらの歌にあるとおり、襟裳岬は、<風、砂、波>の激しいところです。
明治初期からの森林伐採や虫害によって丸裸になったこの地区は、
襟裳砂漠」ともいわれ、昆布の品質も最悪でした。
その森を長い時間をかけて復活したのです。

強い風の中でも育つようにととられた工夫は、
海の雑海藻で種子を覆って保護するやり方で、樹種はクロマツでした。

魚付き林(うおつきりん)」という言葉がありますが、
森林のおかげで魚が住み着き産卵する、プランクトンを育てる、
強風による砂塵舞上がりが抑えられて昆布の品質が向上する、
海に注ぐ川の水が澄む、フルボ酸・鉄などの栄養分が補給されて海が豊かになる、
ウニ、カニ、コンブ、サケ、マスの豊饒の海に変わったのです。

 

庄内のクロマツ林―防御帯

日本海側の長い海岸線には、先人たちのご労苦でマツの防風林が作られています。
帯のように連なるので、通称を「万里の松原」などとも呼ばれました。
官民挙げての植林でできた山形・庄内のクロマツ林は代表です。

秋田県境に近い遊佐町・吹浦(ふくら)から鶴岡市・湯野浜までの34kmがカバーされています。
ここは、江戸初期までに製塩用燃料のため、ナラ、ケヤキ林が伐採されて荒涼とした浜になりました。
その後、庄内藩と地主・本間家が膨大な金と260年という長い時間をかけて
クロマツを植林し、いまの防御帯ができたのです。

 

東京の水源―奥多摩の水源林

都民の水がめの奥多摩湖(小河内ダム)を守るため、
山梨県側の森林を買収し針葉樹・広葉樹の混交林として守っています。
都が所有の21,500haの森林のうち2/3は山梨県側にあります。
森づくりは、1901年、明治神宮の森と同様に
日本最初の林学博士「本多静六(ほんだせいろく)」の提案・設計でした。
広葉樹が降雨を蓄えてダムへの流入量を平準化し、土砂の流入を抑え、その水質も保っているのです。
「100年の計」がいかに大事かよくわかります。

奥秩父登山からの帰り道、「丹波山」バス停前の茶店で食べた「刺身こんにゃく」は
空腹のせいばかりでなく、掛け値なしに美味でした。

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