【第78回】県歌、県民歌の歴史  

学長コラム 2020.6.19

 

どの都道府県にも、大体「県の歌」があります。

NHK 朝ドラ「エ-ル」の主人公「古関裕而さん」は、

数多くの 県、地域、団体、学校の応援歌を作った方としても取り上げられています。

一方、これらが盛んに歌われているかどうかについては、大きな差がありそうです。 

「大学での学びの基本」の一つは、「地域の地理・歴史を知る」ことと話してきました。

県の歌は、<地理・歴史 を知る絶好の教科書>だともいえます。

その例として、 長野県歌と新潟県民歌を取り上げました。 

 

長野県歌「信濃の国」

明治9年(1876年)、それまでの筑摩県(岐阜の一部を含む)と旧長野県が合併、

北東中南の4地域を包含する現在の長野県ができ上がりました。

しかし、松本城を擁し筑摩県の県都で地理的にも中央の 松本市には不満が絶えず、

分県・移庁騒ぎ等もしばしばでした。

多彩な自然的・人文的条件を抱えた長野県を一つに束ねまとめ上げたいとの願いをもって生まれたのが 、

「信濃の国」です。 

 

地理的内容で満載のこの歌が、「県歌」にまで高まったのは、

県土・県民一体化の願望に応えた歌詞バランスのよさからだったのでしょう。

<4つの平は肥沃の地>がそのことを象徴しています。

作られてから現在までも、結婚式の披露宴、県人会などで、

しかも長い6番までを延々と歌う姿は、やはり「特別の歌」です。 

 

さて、「信濃の国」成立は、明治32年(1899年)までさかのぼります。

浅井洌作詞、依田弁之介作曲(明治33年北村季晴が改曲)、

公式「県歌」としては昭和43年(1968年)の制定です。

なお、最近は歌われることが少なくなった、結束力が弱いと、

県知事が新時代7番の歌詞を公募をしたとも聞きます。(「県歌・信濃国」参照) 

 

 

 

新潟県民歌 

新潟県も長野県と同様に、幕末越後11藩+幕府直轄領が

幾度かの再編を経て現在に至っています。 

明治4年(1871年)の廃藩置県で13の県、

府県整理で「新潟県」「柏崎県」「相川県」3県へ、

6年には新潟県が柏崎県を吸収、9年に相川県を吸収し大新潟県へ、

19年には福島県から東蒲原を吸収し現在の新潟県になります。 

※新潟県←(藩)村上、新発田、黒川、三日市、村松、三根山 

 柏崎県←(藩)与板、椎谷、高田、清崎

※長岡藩は廃止 

 

新潟で幼少時代を過ごした友人が、「新潟県にも <県民歌>があり小学校で歌った」と知らせてきました。 

よい歌詞なのですが、残念ながらあまり聞きません。 

幕末のころから数多くの領地が独立・独自の地域を形成してきたのですが、

大港湾で大都市の新潟市を拠点にし、 県民たちの結束がもともと強く、

歌でまで牽引する必要性がなかったからでしょうか。 

 

どうやら、公募・制定が昭和22年(1947年)、敗戦、「民主化」、戦後復興という、

歴史の新しさと当時の社会状況が背景にあるように思えます。

県民歌の歌詞にも、平和、希望などが謳われていますし、

また、この時期に続々と各県の歌が作られました。

あの古関裕而さんも、山形、滋賀、島根の歌を作曲しています。 

 

  • 新潟県民歌 作曲:明本京香 作曲:高下玉衛一(抜粋) 
  1. 山河新たに旭(ひ)は映えて・・・希望に燃えてこぞり起つ ここぞ民主の新潟県 
  1. 五穀の宝庫土壌(つち)肥えて尽きぬ越後の野の幸に・・・興せ自由の新潟県 
  1. 弥彦妙高佐渡晴れて・・・拓け詩の国 新潟県 
  1. 越佐の天地玲瓏と今ぞ平和の鐘は鳴る・・・築け栄えある新潟県 

 

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