【第96回】クラインガルテンとダーチャ

学長コラム 2021.3.12

クラインガルテン

クラインガルテン(Klein garten・滞在型市民農園)の歴史は古く、1814年、北ドイツ・カペルンに「クラインガルテン協会」が誕生し、全ドイツに広がったといわれている。
本格化したのは、1919年にワイマールドイツで法制化されて、利用者の権利が保護されるようになってからである。
そこでの農法の特徴だが、柱は<雨水による灌漑(かんがい)、人工肥料は使用せず、化学的な害虫の駆除は拒否する>だといわれる。

一方で、この農法や運営は政治的な利用もされてきた。
第二次世界大戦中は、有機農業と同じく、食料の自給政策に利用される。
ドイツでは第一次世界大戦開始前の小麦の自給率が30%で、連合国からの経済封鎖によって、1916~1917年にかけて、「カブラの冬」と呼ばれる悲惨な食生活に直面している。
食料も肥料も輸入が途絶、家畜飼料用カブラ(ルタバカ)を食用にせざるを得なかった。(藤原辰史など)

「近代戦とは総力戦である」と思い知らされたドイツでは、とくにナチスが農地相続の分散を制限、大規模化による生産性向上、輸入肥料への依存から国内有機農業の振興による食料自給へと体制整備を農政の重要課題にしている。
クラインガルテンも、その一端を担うものというわけで、まさに「世のなかはきれいごとでは済まない」、物ごとは多面的、多角的に「トンボの眼」で観察しなければならない。

 

ダーチャ

旧ソ連にも共通する話がある。
ロシア語で「別荘」の意味の「ダーチャ」(畑つきセカンドハウスといわれ、帝政時代から現ロシアまで伝統的な生活)は、計画経済=ゴス・プランの下で、多様な食料需要に対応できない「ノルマ主義」への国民の個別的対応策として誕生し、今日まで維持されてきたようだ。

計画経済は、「神の見えざる手」がないので、不要なものは生産されるが必要なものは生産されないし品質は問わない。
「ノルマは重量で」だったから、食味・ビタミン重視の野菜は生産されず、泥つき重量農産物が計画達成のため重点的に生産される傾向を持つ。
これを通じ、ダーチャの畑での栽培が、計画の欠陥を補う。
その伝統か、ロシアのジャガイモの9割はダーチャで生産され、自家消費されるとモスクワ駐在経験のある農務官から聞いたことがある。

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