【第108回】新しい地域社会を求めて―自助・共助・公助

学長コラム 2021.8.27

「公」(おおやけ・Public)とは

「公」の正しい意味は、国、地方公共団体の行為にとどまらず、コミュニティ、民間団体・企業などを含め、誰がやるとしても「その行為と結果に公益性と社会貢献性があるかどうか」が基準となる。
したがって、資本主義経済の下では、利潤追求を目的とする民間企業でも、その行為と結果を通じて「公かどうか」が判断される。

「共助」の分野には、「チャリティー」などドネーションも含まれる。
何でもかんでも「国がやってくれない、国の責任」ではない。そういうことを「クニガクニガ病」という。
(注)日本のチャリティー額は、2016年で約1.5兆円だそうである。

 

自助・共助・公助

菅総理の「施政方針演説」に登場するキー・ワードだが、これは総理や官邸の発案ではなくて、米沢の第8代目藩主「上杉鷹山(ようざん)」に淵源(えんげん)がある。
ただし、鷹山は「共助」を「互助」と使っている。
その際に、村落(地域社会)の「互助」や藩による「公助」の前に「自助」がなければ社会は回らない、そして、自助の力を得るためには、米作(稲作)以外の作物や加工、他の産業振興が不可欠だと鷹山は説いている。
また、セイフティ・ネットとしての公助がうまく機能するためにも、「三助」の順番、バランスは不可欠で、そうでないと「本当に困っている人が公助を受けられなくなってしまう事態」も生じかねない。

 

鷹山の精神はケネディへ

かつて、アメリカのケネディ大統領は、最も尊敬する日本人として上杉鷹山を挙げている。

大統領就任に際して行われた演説の淵源はここにある。
“Ask not what your country can do for you, Ask what you can do for your country”

 

エレノア・オストロム

共助の学問的位置づけとして、2009年にノーベル経済学賞受賞者アメリカのエレノア・オストロムを紹介する。
オストロム教授は、公共財および共有資源(CPR Common-pool resource)の管理に関するこれまでの通説、すなわち、「政府か市場のいずれかが対処するのが最も効率的」という主張について、“実は、資源を管理する効率性は、市場でも政府でもなくて、コミュニティが補完的役割を果たしたときに最も効果的になる。また、そこに長期継続のための設計原理として一定の運用ルールが存在し、侵害者には<ある種の制裁措置>が伴わなければならない”と説明している。

 

ほっとくようでほっとかん、ほっとかんようでほっとく

自助‐共助‐公助の間の関係については、「桜守(もり)」「佐野藤右衛門」(京都)の言葉を思い出す。
それは、「桜は、守り(もり)」をする必要があるが、かといって過保護でもまたいけない。それが真の愛情なのであって、支え過ぎはよくない。桜が自分でなんとかしようとする力を引き出し、見守るのが大事だ。」
自助を見守り、<いざのときには手を貸す>共助、今後の農業集落や新しい地域コミュニティの在り方にも通じる。
「つかず、離れず」より、自主性重視で適度な距離を保つ、つまり「ついたり、離れたり」が理想なのだと思う。

そして、公助は「遅れるもの」なのだから、地域社会での共助を先行させる常日ごろからの態勢づくりが肝心なのだ。

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