【第132回】みどりの食料システム戦略と有機農業

学長コラム 2022.8.5

EUでは2030年、日本でも2050年を目指して、有機農業を『農地面積比率で25%』にして、カーボンニュートラルに貢献する。
2017年の「有機農地面積比率」は、EU平均7~8%、日本は1%に満たないので相当に意欲的、それだけ地球温暖化は深刻だ。
さて、EUの域内状況は、オーストリアが24~25%、エストニア、スウエーデンは20%程度だから、25%目標は到達不可能な数字ではない。
日本は、スタート台が低いので、2050年としても25%に持っていくには、思い切った対策がないと道は困難な気がする。
今回は、有機農業の基本的考え方と世界的にどのような歴史をたどったのか、少々異なる視点でのこぼれ話を紹介したい。

 

有機農業の思想・哲学

「有機農業の聖典」とされているJ・I・ロデイル著の「有機農法」(自然循環とよみがえる生命・1945年初版)の序文で、著者はこう解説する。この本は、一楽照雄さんが、1974年に翻訳した。

“肥沃な土壌こそが、健康な農作物、健康な家畜そして最後だが重要な健康な人間の土台であると私は答えるであろう。肥沃な土壌とは、それに還元(循環)の自然法則が確実に適用されていて、植物質および動物質の廃物による堆肥からできる、新鮮な腐植を適量に含んでいる土壌であることを意味する”
“緑の細胞とそれらを動かす力(太陽光線のエネルギー)との、自然の工場の二つの構成単位は、いずれも人間に負うところがない。神よりの賜物である”
“作物の育種家は注意を品種のことばかりに限定しないで、同時に土壌の肥沃度を増進させなければならない。土壌を消耗させることなく、農作物は自らの力で自らの面倒を見て”

(一楽は、「経済の領域を超えた価値を有し、豊かな地力と多様な生態系に支えられた土壌から生み出される本来あるべき農業」と定義する)

 

肥料 ― 天然から化学合成へ

農作物に必要な肥料の成分は、窒素、リン酸、カリだが、これらは20世紀の初頭まで、南米チリにある「チリ硝石」という鉱石やペルー沿岸の沖合に浮かぶ島々の「グアノ」=海鳥の糞化石を採集して、ヨーロッパ大陸などへ運び肥料にしていた。
そして、1909年、大気中に無限にある「空中窒素を固定し窒素やアンモニアに合成する方法」ハーバー&ボッシュ法の発明で、合成へと切り替えられることになった。

 

第一次世界大戦と有機農業

オーストリアなど欧州の特定国でなぜ有機農業が発展したのか。
その転換点は1914~1918年の世界大戦にある。
総力戦と経済封鎖という点でそれまでの戦争と様相が一変した。
いわゆる「兵糧攻め」といってよいかもしれない。
つまり、人間や家畜の食べ物や肥料などが戦争の相手国に入らないように輸送を阻止するのだ。
ドイツとオーストリア・ハンガリー同盟軍側では、食料、飼料、肥料の海外からの入手が困難になった。
「空中窒素固定法」は、さらに発展することになる。
それとて軍需を優先すれば、取り残された農業は「有機農法」で対処するしかない。
このように、有機農業は複雑な歴史をたどっている。

 

ナチスの農業政策

総力戦、経済封鎖を経験して、第二次世界大戦のドイツ(併合されたオーストリアを含む)では、肥料や農薬、機械は軍用に優先振り向けとされた。
なぜなら、肥料は「火薬」に、農薬は「毒ガス」に、トラクターは「戦車」に武器化していくからだ。
農業用の資材は、輸入も国内向けも縮小し、逆に、農政面では、植物・家畜由来にベースをおいた「有機農業」を推奨することになる。
ウクライナ侵攻と経済制裁で肥料が需給ひっ迫するのを見ても、戦争と農業は深い関係を持つ。

なにごとも「とんぼの目」、違った角度で観察することが重要だろう。

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