【第28回】疏水百選と新潟の疏水

学長コラム 2018.7.20

地球10周分の用排水路 
農業・農村は、長らく、「水」には苦労してきました。
越後平野が豊饒(豊穣)の地なのも信濃川の管理(大河津分水)
用排水路網の建設・運営の歴史があったからなのです。
新潟は「ガタ(潟)」、川より低く排水の悪い土地です。
周囲を土手で囲む「輪中」、水車での排水、胸まで泥に浸かる田植え、舟上からの稲刈りは当たり前でした。
日本には40万km(地球10周分)がありますが、この人工水路は、2000年に亘って
水土を拓いてきた「水のネットワ-ク」です。
「疏水(そすい)」とも「堰(せき)」ともいわれています。

三大疏水 
明治に入って人口が増加し、農業、工業の発展には水の確保が必須になってきました。
多目的の「ダム、水路、発電所」が必要になったのです。
1880年代になると、三大疏水の①安積疏水(1884年)、②那須疏水(1885年)
③琵琶湖疏水(1890年)があい次いで完成し、農業用、工業用、飲料用に寄与します。
水の歴史は、何10kmも離れた河川から水を引き豊穣(ほうじょう)の地に変える難工事の連続でした。

疏水百選 
農村地域の高齢化が進むと「疏水(そすい)」「堰(せき)」の維持・管理が難しくなり、
地域での非農業者や都市の住民の応援も必要になりました。
疏水は、農業の用排水だけではなく、保健休養、美しい景観など多様な役割を果たしてきていますから、
日本百名山、名水百選、棚田百選にならって、
平成17年(2005年)には「疏水百選」が110ヶ所指定されました。
選定基準は、①農業・地域振興、②歴史・伝統・文化、③環境・景観、④コミュニテイで、
新潟では「亀田郷」と「加治川用水」が指定されています。 
亀田郷は、かつて「芦沼」ともいわれましたが
昭和34年(1959年)までの土地改良事業で見違えるようなコメの生産地になりました。
いま「丸潟新田ビオト-プ」として、環境保全にも貢献しています。
「潟のデジタル博物館」にアクセスしてみましょう。

加治川用水は、干拓によって生み出された1700haの新田です。
洪水と渇水に悩まされましたが、昭和49年(1974年)に完成した土地改良事業で豊かな土地に変わりました。
加治川用水はNAFUにも近い新発田、聖籠にありますから、訪れてみてはどうでしょうか。

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