【第62回】火薬の素は 「蚕の糞」 ?

学長コラム 2019.8.30

鉛で葺いた金沢城・石川門の屋根

インターネットには「腐食に強く、壮観な外観とするため」と書かれていますが、
「いざ徳川方との戦になったときには、鉄砲の弾丸にする」とも聞きました。
守るに易く、攻めるに難しい城の構造は
高台、堀、複雑な内部通路、枯れない井戸と食糧、武器の備蓄なのです。

 

五箇山の「塩硝」

鉄砲が伝来してから、戦闘の主流は槍・刀の個人戦から火縄銃による集団戦に移ります。
さらに、鉄砲と弾丸(鉛)が備わっていても「火薬」がなければ発射は出来ません。
火薬はどこから調達したのでしょうか。
JR西日本「社内誌」は、加賀前田藩の火薬工場は五箇山だったと述べています。

この時代、火薬の素になる「硝石は海外から輸入することが出来ません。
そこで、養蚕が盛ん、茅葺きの大きな家を持つ五箇山の地で、
畑の土山野草蚕の糞、これらを5年ほどかけて「塩硝」(=人工の硝石)にし、
また、精製・濃縮するために使われる大量の灰は大きな家の中から供給するという訳です。
加賀藩の防衛を支えてきた「火薬原料」の秘密工場は五箇山だったのです。

 

関ヶ原の戦い

1600年9月15日のこの戦、
当初、東西両軍の勢力比と布陣の状況からして、かなり長引くと考えられていました。
越後国の旧領主で会津の上杉景勝もそう判断して、手薄な「越後」に攻め込みました。
だが、関ヶ原の戦いは6時間ほどで終わってしまいます。
「小早川金吾秀秋の寝返り」が原因というのが通説ですが、
全体を大きく見れば、家康の政治・軍略的手腕と西軍の士気の低さがあり、
そして時間の長さに関しては、火薬、弾丸の補給が、双方ともに長期を戦うレベルになく
短期決戦にならざるを得なかったのではと想像しているのですが、いかがでしょうか。

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