N-mag

【第29回】「虫送り」と日本人の自然観 

農業と病虫害は敵対関係であるように見えます。
そのため、「退治」とか「駆除」という言葉が使われます。
江戸中期の稲作害虫「ウンカ大発生」(1732年)は、大凶作をもたらしました。
さしたる農薬もなかった当時としては神頼みもやむを得なかったのかも知れず
そのころに始まってその後に広く定着したのが「虫送り」行事です。

「虫送り」行事 
「虫送り」「イナムシ(蝗=イナゴ)送り」「さねもりさま」と称される農村行事は、全国各地に残っています。新潟でも、柏崎市の高柳町などでは、ずっと続けられているようです。
6月の終わりから7月半ばまで田植え後の農閑(田休み)の時期に子供たちも参加します。
松明をかざし、鉦(かね)、太鼓ではやしながら、畔道を辿って集落(むら)の境まで練り歩き
「疫病神を形どったワラ人形」を集落の外へ放り出して追い払うのです。
そのときの掛け声は、たとえば
<ネ-ムシ(根虫)、ハ-ムシ(葉虫)、飛んでいけ、サネモリどんのお通りよ>とか、
<イナムシ送りや、おくりや、おくりや>、
<ドロムシ(泥虫)、出てけ、サシムシ(刺し虫)、出てけ>などで
行事の最後にはご馳走も待っています。それでは、なぜ「さねもりさま」というのでしょうか?

サネモリさま 
虫送り行事は、木曽義仲軍と戦って、無念の最後を遂げた平家方の武将「斉藤別当実盛」に由来しています。
1183年篠原の合戦で、実盛は稲につまづいて倒れ、打ち取られたとの伝承があり
その遺恨から死後は稲を食う害虫になったといわれます。
それを供養することで虫害を避けようとする「怨霊鎮魂」の行事が生まれたのでしょう。

日本人の自然観 
退治、駆除するのではない、むやみに生き物を殺さないで、「避ける」、「逃がす」、
「追い払う」のが、どうやら日本人の本来の自然観のようです。「蚊遣り」も「鳥追い」も同じで
柏崎市高柳(門出・田代)の若者たちからの便りには
「稲の害虫を追い払うこの冬の恒例行事<鳥追い>を114日に」とありました。
「山椒大夫」では、佐渡の地で、盲目の母親が、「疾うとう逃げよ、追わずとも」と鳥を追っています。


関連記事