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【第46回】塩の道 その2

かつて、「塩の道」の紹介で、日本海側の糸魚川から信州の松本・塩尻に至る北塩 (裏塩)
太平洋側の三河・駿河湾から足助・秋葉街道を経て信州の飯田・塩尻に至る南塩(表塩)の道について
解説したことがあります。
また、その際運ばれたのは、塩ばかりでなく<塩漬けの水産物>=到着地で塩抜きされて
「塩イカ料理」に使われる、塩に残る「ニガリ成分」が信州の大豆と相まって
豆腐→凍豆腐を育てた、この食文化は、北の大町・南の飯田に共通と書きました。

第三の塩の道 
塩の道はこれだけではありません。越後から信濃に至る「東の塩の道」もありました。
上越沿岸部(直江津)から信州方面に塩や海産物などを運んだ細い街道ですが、
多くの人の行き来したのは上越市牧地区です。
かつては、牧峠に「口留(くちどめ)番所」が置かれ、人とモノの交通をチェックしていたそうです。
様々な情報に照らすと、この塩の道のル-トは<直江津~高田~牧村~飯山/栄村~善光寺~上田>
だったと思われます。栄村や上田市には、いまも「塩尻」の地名が残っています。

もう一つ東の塩の道 
日本海から信濃へ「東の塩の道」があるなら、太平洋から信濃へも「東の塩の道」が
存在するのではないかと思っていたところ
<千葉の塩が中山道を通って追分経由、小諸、上田(塩尻)へ>というル-トの解説に出会いましたが
「中山道=塩の道」では味がない気がします。
いずれにしても、塩は人間の命に不可欠なものですから
逸話も多く、上杉謙信がライバル武田信玄に塩を送った話も
謙信公「義の戦さ」=生命から創造されたものでしょう。

鹿塩温泉の山塩 
それでは、信州・甲州で塩は本当にとれなかったのか
実は長野県には、いまだに山の中で塩を製造しているところがあります。
飯田線・伊那大島からバスで50分ほどかかる 「鹿塩温泉」 では
濃い塩分の「温泉水」(海水の塩分濃度は30%、ここの温泉水25%)を煮詰め塩を取り出しています。
この塩は、「ニガリ成分」=マグネシウムが少ないために<まろやか>だそうです。


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