学長コラム
【第63回】安兵衛、走る!
越後・新発田の出身で全国的有名人の一人「堀部安兵衛」を紹介します。
「高田の馬場の決闘」や「赤穂浪士四十七士の吉良邸討ち入り」で知られ、語られます。
なお正史以外の落語、講談混じりの想像ですから、真偽のほどは保証できません。
安兵衛は、10万石・新発田藩士「中山弥次右衛門」の長男ですが、
父の櫓・失火のため藩を追われ、浪人の身となって江戸に移ります。
優れた剣術の腕前で、江戸に道場を開きながらお家の再興を願うのですが、
望みは叶いませんでした。
剣術修業のなかで意気投合したのが伊予西条(愛媛)藩士の菅野六郎左衛門。
二人は<叔父ー甥>の契りを結ぶ仲となりますが、これが波乱の人生、第二幕でした。
ちょっとした諍いから決闘を挑まれた菅野に助っ人を約束した相手は村上庄左衛門、
8人が動員され、菅野側は3人の戦いだったようです。
しかし酒好きの安兵衛、深酒して朝寝坊、八丁堀(現在の東京駅近く)から
「高田馬場」(現在の西早稲田)へと、慌てふためいて走りに走ります。
1694年3月のことでした。実際に歩いてみたら、ほぼ10㎞・2時間半でした。
マラソン・ランナー並みのスピードでなら30分ぐらいでしょうか。
講談は、途中での休憩(新宿区改代町「安兵衛腰掛の松」)も語ります。
さて、「高田の馬場」に到着してからですが、決闘は終わっていたとも
いや、それから18人を斬ったともいいます。
動員人数と講談上での人数は合いませんが、仕方ありません。
これも創作だと思いますが、楽しいエピソードを。
予告決闘ですから見物人が数多く、その中に居合わせたのが赤穂藩留守居役の堀部弥兵衛、
安兵衛を見込んでぜひ婿養子にと所望し、さらに伝わっているのは、
荒縄で襷(たすき)をしようとする安兵衛の凛々しい姿に惚れ込んだか、
結婚相手となる「堀部ほり」(弥兵衛の娘)は、扱き帯(しごき)を抜いて投げ渡せば、
受けた安兵衛、これを襷に、キリリと締めるとまことに艶っぽい情景です。
この変わり者は、赤穂藩・浅野内匠頭の「松の廊下の刃傷沙汰」でも、
逃げ出せばよいものを<仇討ち最強硬派>となって義を貫く、
本懐を遂げてた後に切腹、享年34歳でした。