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【第18回】飛騨の鰤(ブリ)街道

能登、越中から「飛騨ブリ」へ

冬の富山湾、とくに氷見の定置網で採れたブリは、能登ブリ・越中ブリと称し、
古くから京都、大阪で珍重されてきました。
いまでは新潟・佐渡の真野湾のものも「佐渡ブリ」として有名です。
越中ブリは、1670年代(寛文のころ)から、塩ブリとして飛騨の高山にも送られ
通称も「飛騨ブリ」と名前が変わります。
その後、さらに、標高1672mの野麦峠を越えて松本や木曽、伊那地方にも届けられます。
松本では、1尾の値段が浜値の4倍、コメ1俵(kg)相当(15,000円ほど)にもなっていたそうです。

鰤街道

越中から飛騨高山までのル-トは、まず、現在の高山本線沿いに南下するのですが、
途中、「猪谷」「今村峠」の間は、東西2本に分かれ、
東は越中東街道(神岡鉄道沿い)を運ばれました。
塩と同様、歩荷(ぼっか)に背負われて17日程の旅であったらしいのです。
「塩の道」からの想像なのですが、険しい<富山湾~糸魚川→塩の道→大町→松本>のル-トも
あったのではないでしょうか。ただ残念ながら、記録は見当たりません。
なお、小浜(福井)から京都へ夜行特急便で70km、鯖(サバ)を届ける若狭街道には、
江戸時代から「鯖街道」の愛称がありました。

各地の年取り魚
第16回のコラムでもお話ししましたが、日本各地には「年取り魚」があり
飛騨地方には、いまでも正月に塩ブリを「年取り魚」として食べる習慣があります。
兵庫県在勤の当時を思い出しましたが、年末になると多くの人々が
明石の「魚の棚」(小売市場)へ出かけて塩ブリを購入する姿が見られました。
塩ブリなので保存は利くし、いろいろな正月料理に使われます。
東京なら御徒町「アメ横」の歳末風景と同じでした。

NAFUの学生同士で自分たちの地元の食文化を共有する中で
新しいアイディアが出てくるかもしれませんね。


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