N-mag

【番外編④】食、農、地域のあれこれ

農業生産に不可欠な要素は、土地(農地)、水、人(担い手)、技術だといわれるが
そのうちの「水」=用水のエピソードを取り上げる。
なお、第28回のコラムにおいて、新潟の疏水(疏水百選)を紹介しているので
こちらもぜひ読み返してほしい。

 

6 木曽山用水

「木曽山用水」は、木曽「川」用水ではない。
つまり、この用水は、1969年の大改修までは、流れが、実際に、山である「権平峠」を越えていた。
長野県・伊奈の南箕輪村「上戸」「中条」集落は、天竜川の支流「小沢川」の下流に位置し
一見、水は豊富そうに思えるが<旧松本藩の飛び地>ということもあって「水利権」がなかった。
アワ、ヒエしか取れない土地にとって、自前の水の導入は長年の悲願であった。
江戸から明治にかけての再三の請願の効果と新たな水利用の手法が編み出されたことから、
問題は一気に解決する。

木曽側の「奈良井川」(信濃川水系)の水を分水し
これをほぼ等高線沿いに流して標高1,522mの権平峠を越えさせ、
伊那側の「小沢川」(天竜川水系)に落水・流入をさせる。
下流の2つの集落は、その落水・流入された分と同量の水を取水し利用できるという
「玉突き取水法」を考案したのである。これに

よって2つの集落では、水田、稲作が可能となり、やがて、恵み豊かな地域に変わったのだといわれている。
本来なら、日本海に注ぐ奈良井川の水の一部を、峠を越え、天竜川を経由して
太平洋に注がせる一大工事であった。

「玉突きは同量の水」という大前提だから、厳密な計測・確認は、いまでも慣例として行われている。
取水口である「水枡」からピンポン玉を流し流速を確認、
流量をはじき出す伝統行事は、トンネル、パイプラインとなった今日も引き継がれていると聞く。

(風に吹かれて 201210月号)


関連記事