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【第79回】長岡の花火大会と 「長岡空襲」

 

 夏の花火は、季節の風物詩の一つです。
「長岡の花火大会」も全国的に有名ですが、本年は「新型コロナウイルス」のため、
大会の形式での開催は中止」になったようです。

この際、いわれや歴史、賑わいぶりを記しておくことにします。

 

長岡まつりと 「花火大会」

 毎年8月2、3日に開催される「長岡まつり」に合わせて
実施される「日本三大花火」のひとつです。(日本三大花火:大曲、土浦、長岡)
 これは戦争で亡くなった人々の慰霊と戦後復興に尽力した人々への感謝、
世界平和の祈願を目的として1947年に花柳界の方々の音頭で、まつりとともに復活したといわれます。

 昨年の例ではこの時期、JRは臨時列車を増発しましたが、
それでも大混雑、離れている新潟のホテルもほぼ満員でした。

 

花火は「鎮魂(ちんこん)の行事」

 日本各地の花火大会は旧暦のお盆のころ(8月15日前後)にピ-クを迎えます。
花火はもともと「鎮魂の行事」ですから、祖先の霊、とくに300万人ともいわれる「太平洋戦争」の
戦没者を悼み、慰めることと深くかかわっています。

 私の家がある長野県安曇野市(穂高)でも、有名な「諏訪湖花火」(8/15)に先立って、
8月14日には、ワサビ田の近く犀川(さいがわ)の河原から約12,000発が打ち上げられます。
諏訪湖の2万発には及びませんが、日が暮れて涼しい風が入るようになった
わが家の2階窓から眺めていると、美しくもはかない、
もの悲しい感じのなかで、
亡き人々への想いがあふれてきます。
ゆっくりとした時間の流れを過ごすのも、よいものです。

 鎮魂といえば、新暦のお盆(7月中旬)に、東京の靖国神社では、
「みたままつり」という戦没者慰霊の行事もあります。

 

長岡空襲

 長岡市には、1945年8月1日の午後10:30から1時間40分にわたり、
アメリカ軍B‐29爆撃機による大空襲がありました。
旧市街地の8割が焼失し、1,488名が死亡したといいます。
なぜ長岡市や新潟市は原爆投下の候補地だったのか。
長岡はパ-ルハ-バ-攻撃の司令官だった「山本五十六海軍元帥(げんすい)」の出身地なので戦争継続の「意気を阻喪させる」ために空襲したなどの説があります。
真偽のほどは不明ですが、70年以上前、こういう事実があったことは忘れてはなりません。  

 


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