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【第82回】「いごねり」 と海人・安曇族

 

いごねり・エゴネリ  

佐渡名産の食品に「いごねり」があります。

日本海の海藻「いご草」を乾燥し、煮溶かして練り、冷やし固めて作ります。

板状にしたらスダレのように巻いて輪切り、甘口醤油かショウガ醤油、ポン酢をかけて食べます。

「和からし」を加えてもおいしく、ちょっと上等なトコロテンのような健康食です。

新潟駅の「新鮮市場」で入手でき、佐渡以外の新潟や長野の北部では「エゴネリ」とも呼ばれます。

また、福岡県には「おきゅうと」という名前で、類似の食べものがあるそうです。 

 

安曇野の境 

長野県の「安曇地方」は、海人・安曇族が定住したところだといわれます。

筑紫(福岡県)の志賀島辺りが発祥の地とされる安曇族ですが、

船を使い、ダイナミックに活動して、各地に拠点を設けてきたと思われます。

水運に便利な地には、今も、温海(山形)・渥美(愛知)・熱海(静岡)など

「安曇」(あづみ)に因んだ地名が残っています。 

その海人族が、なぜ全く内陸の安曇野に入って来たのか。

6世紀「磐井の乱」に敗れ、筑紫から信濃へ逃げ込んだからという説もあります。

たぶん、糸魚川の辺りから姫川沿いの「塩の道」を通って、安曇野に至ったのでしょう。

それでは、なぜここから先には行っていないと推定できるのか、

カギは「いごねり」にあるといわれるのです。 

 

是より北・安曇野 

大糸線が松本を出て、3駅を過ぎ、梓川の鉄橋を渡ると、

次の「梓橋」駅に、「是より北・安曇野」の看板が立ちます。

ホ-ムにはリンゴの木があって、観光客を楽しませます。

なぜ「梓川」が境目になったのか。

どうやら、「海民の食べもの<エゴ・ネリ>(いごねり)の食習慣が残っているかどうかで線が引けた」というのです。

例えば、安曇野の穂高のス-パ-では、いまも「エゴネリ」が販売され、

梓川の向かい<松本市では食べない>そうです。 

日本海の海産物でも、イカは、ボッカ(歩荷)が運ぶ塩に漬けられ、

「塩の道」を経由して、北安曇から松本、塩尻にまで届き、

これを使った「塩イカ料理」がいまでも盛んです。 

一方「エゴ」は、姫川に沿い「塩の道」を進んだものの、

海人「安曇族」の南下が梓川辺りで終わったために、

海藻を食べる習慣も先には広がらなかったと推定しているのです。 

 

筑紫・志賀島と信濃・安曇野が、食べもの「おきゅうと」「いごねり」で結ばれました。

人間は、独自の「食文化」を作り上げ、これを携えて移動します。

地域色ゆたかなものは、これからも大事にして、引き継いでいきたいものです。 


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