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【第99回】センダンの花と小山作之助


「続・学長コラム」の63話「森の話、木の話」で、「センダンの花」に触れました。実生(種)から苗に育成、唱歌「夏は来ぬ」に和名・おうち(あふち)で登場、「せんだん(栴檀)は双葉より芳し」とは「白檀との取違え」などでした。なお、「芳し」には、香りだけではなく「立派・見事」の意味もあります。

 

実生から幼い苗へ ‐ 3年過ぎたら

大学の芝庭にセンダンの実を直播した1年目は、発芽はしたものの越冬はできませんでした。
翌年は、プランタ-や鉢植えに切り替え、いま順調に育っているようです。3年が過ぎたら露地に下ろしましょう。

 

10年生になれば樹高は3mを超えて、花もつき始め、初夏に藤色の花が大量に咲いて、ほのかな香りが漂います。見上げる花の群れは、その異名の「雲見草」さながらに「霞か雲か」でしょう。
樹木の図鑑では「樹高は10数mにも」といわれ、都心の公園には見上げるような高木もあります。

 

楝 (あふち) とセンダン

「芭蕉150句」の著者は<夏の句>に、「どむみりとあふちや雨の花曇」を選んで「楝(あふち)も木のさまにくげなれど、と枕草子も言っているとおり、無用の落葉喬木だが、匂いよく風情のある淡紫色の小花をつける。宮中ではとくに五月の花色とされる」、「五月雨に烟る楝の花の風情を花曇と捉えた」と解説しています。           

 

俳句とセンダン ‐ 三壽三様

俳句の話題をもうひとつ。高等学校の先輩で俳人「鈴木壽子さん」が出した俳句&写真集「三壽三様」、この夏の部にセンダンが登場します。鈴木さんの句は、<亜垃毘亜 (アラビア) の魔女に恋して 花楝(あふち)>、秋葉さんは、<花楝徐々に頷く 癌告知>です。センダンの花の写真も妖艶でピッタリです。

 

唱歌 「夏は来ぬ」 と新潟 ・ 小山作之助

文部省唱歌「夏は来ぬ」は、作詞が歌人の佐佐木信綱、作曲は新潟県の大潟町(現上越市)出身の小山作之助(1863~1927年)です。小山は、旧文部省の音楽取調掛を経て東京音楽学校(現東京芸大)教授、滝廉太郎を指導した郷土が誇れる人物ですが、この歌を自らの最高傑作としていたと伝えられています。

4番の歌詞を見ましょう。

~ 楝(おうち)散る、川辺の宿の門(かど)遠く、水鶏(くいな)声して夕月涼しき、夏は来ぬ~

 

6年後が楽しみ

新潟食料農業大学の「10年計画」が実現するころには、学舎のセンダンも高木になり、樹冠には藤色の花が雲霞のごとく咲いてほのかに香りながら夏の到来を告げる、そうした光景を想像しています。


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