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【第103回】雪国のくらし‐北越雪譜から その2 動物・人を助ける

熊・人を助く 

妻有の庄に逗留し、酒を酌み交わしたある老人(82歳と当時としては長命)から聞いた話である。

酒好きと見えて、茶碗に3杯も勧めれば機嫌は上々、昔話を語り出す。その老人20歳の冬2月、薪取りに橇(そり)を引いて入山し、雪の割れ目より谷底に墜落、このままでは凍え死ぬかと100歩ばかりさまようと、偶然、岩穴に出会った。食べ物も落としてしまったが、なんとか頑張れば村の者が助けてくれるかと、岩穴に這い入れば、奥は次第に温かくなる。手に触れたのはまさしくクマだ。クマの手のひらに付いていた栄養をありがたく頂戴し、ひと冬を過ごす。春になるとそのクマが雪かきしてくれて、死んだと思っていた家族に再会できた。これは、たぶん雌のクマだったのだろう。

 

鶴恩に報ゆ(つる・おんに・むくゆ) 

小千谷の縮商人・芳沢屋東五郎が天保7年(1836年)の春に西国へ出かけた際に、宿の主から聞いた話である。

近在の農人の田地に病気のため死にかけている鶴がおり、(薬用)人参を与えて治療したところ、回復した。その翌年の10月、2羽の鶴が来て「長い6尺余りの稲2茎」をもたらし、一枝には4~500粒の実がついていた。これは「鶴の恩返し」、翌年はそれを植えると極めて順調に育った。農人が東五郎の縮の商売相手先だったことでもあり、そのモミを5~60粒もいただいて越後で育てたという

                                

異獣

堀内から十日町へは、約7里(28km)の山中の間道を通る。ある夏のこと、十日町の縮問屋が堀内へ白縮を届けようとして、使用人に荷物を負わせ、途中で昼食の焼飯の包みを開いた。そこへ根笹をおし分けて、猿に似て猿にあらず、背丈は常並みの人より高く、髪の毛は長く肩に垂らしてやや白い、眼は大にして光ある異獣が現れ、焼飯を指して「くれ」という。与えた上で、「われわれは急ぐから、帰りにまたここを通り、焼飯をやろう」といえば、使用人の荷物を取り挙げて、軽々と肩に乗せ、まるで手ぶらのごとく険岨な山道を走ってゆく。たぶんこれは、焼飯のお礼だったのだろう。

 

(おまけ) 

もう一つの忠犬物語 

これは、「北越雪譜」の話ではない。日経新聞の文化欄に「忠犬ハチ公」だけではなく、新潟には曽祖父の命を救った「タマ公」という忠犬がいたとの記事を見た。五泉市村松の猟師で苅田吉太郎は、1934年2月、越後柴犬のタマとともに猟に出かけたところ、雪崩に巻き込まれた。タマ公は前脚を血だらけにしながら雪を掘って吉太郎を助けた。そのときだけではなくて、1936年にも救っているのだそうだ。忠犬として一時は、新潟の白山公園をはじめ、全国各地に像が建てられたらしいが、戦時中の金属供出でかなりが失なわれ、いままた復活の兆しにあるという。動物愛護、自然災害、諦めない気持ち、戦争の理不尽など多くのことを教えてくれると筆者の伊藤和幸さんは書いている。

 たしかに、新潟駅南口の新幹線改札近くには、「忠犬タマ公」の像がある。なお、記事に「胎内にもタマ公の石像がある」と書かれているので、ぜひ見たいものだ。


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