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【第133回】十五夜と十三夜

「中秋の名月」とか「十五夜」という言葉は、よく聞きます。それでは、「十三夜」の名月鑑賞をご存じでしょうか。
こちらは、中国から渡来した風習「中秋の名月」鑑賞とは違って、日本独自のもので後月宴(のちのつきのうたげ)とも呼ばれています。

そして、お供えものの点でも十五夜は里芋を多用して「芋名月」と呼ばれるのに対して、十三夜は「豆名月」「栗名月」とも呼ばれ、枝豆と栗を賞味しました。新潟県はエダマメの生産面積が日本一なのですから、こちらでは「十三夜」がふさわしいのかも知れません。

(延喜式には「生大豆」と書かれていますので「エダマメ」に当たります)

 

十五夜 

旧暦では、毎月15日が満月で、そのうち8月15日を「中秋の名月」と称します。
いまの新暦に換算してみると、2022年は9月10日(土)になります。

 

十三夜 

その名のとおり「満月になる直前の月」で、通常は中秋の名月の翌月に来る「旧暦9月13日の夜の月」のことを言います。まだ十分には満ちてない状態を愛でるのですから、日本人独特の豊かな感性の表れなのかもしれません。平安時代、絶頂の藤原道長は、自分の治世を“この世をばわが世とぞ思ふ 望月(満月)の欠けたることの無し思へば”と表現し、一方、歌謡曲には、「何かもの足りない“月も未練の十三夜(月の法善寺横丁)」という歌詞もあり、そのような違いなのでしょう。

さて、2022年の十三夜は、新暦では10月8日(土)の夜に見られるはずです。また、十五夜の月を見て十三夜の月を見ないのは『片月見』で縁起が悪いともいわれます。9月10日には「中秋の名月」を見て、その翌月、10月10日には、ぜひ、新潟県名産の「エダマメを食べながら」十三夜の月を愛でましょう。

 

サトイモ 

つぎは、縄文時代の栽培作物についてです。この学長コラムでも「日本の農耕文化は縄文時代に始まった」と書いたことがあります。そのなかで、サトイモはイネよりも相当に早く日本に伝来し、栽培が始まりました。おそらくは、縄文の中期に当たる「いまから5~6000年前には伝わっていた」と考えています。「モチ無し正月」とか「イモ正月」、また、十五夜の「芋名月」といった呼称・習慣もたぶんその名残りなのではないでしょうか。                     

なお、サトイモの栽培は、棒が一本あればよく簡単、かつ毒もないので下処理の必要なく調理して食べられていました。最大の難点は、「種子」で増やすのではなく、「種イモ」からの株分け(栄養繁殖なので、「冬季の貯蔵」に問題を抱えています。つまり、熱帯性の植物ですから日本の西南地域の焼き畑農業などではともかく、寒さの点で害を受けがちな東北地方での継続的な栽培には、大変な苦労があったことと考えられます。

繰り返しになりますが、「農耕文化は弥生時代から」という思い込みは、いまでは古い考え方で、何千年も前から日本列島には農耕文化が存在したということを認識しましょう。

なお、古来、日本では「イモ」といえばサトイモのことで、ジャガイモ、サツマイモが日本に持ち込まれたのは、いずれも17世紀になってからとされています。

 

(注)ここでは、中尾佐助「栽培植物と農耕の起源」、佐々木高明「稲作以前」、松本美枝子「サトイモ」、竹倉史人「土偶を読む」などを参考にしました。


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