学長コラム
【第134回】日本の親は子どもを可愛がる
こども家庭庁の誕生
このところ、痛ましい「子ども虐待事件」が相次いでいる。
しつけと称した暴力、暑い車中に放置してのパチンコ、自宅に監禁状態にして旅行に出かけるなどの結果、熱中症死や餓死同様の事態を招くことが頻繁に見られている。
それに加え、貧困、ヤングケアラー、性犯罪など政策課題は山積である。
このような状況を受け、多岐にわたる省庁に縦割・分散していた子ども・家庭を取り巻く行政事務を一つの組織に集約・統合し、年来の課題だった「こども家庭庁」が誕生する。
2023年4月、規模は300人を上回るというから、本体は「司令塔」で、実際の業務遂行は地方公共団体にどう影響力を行使するかにかかってくる。
菅直人総理の見識
誕生までのいきさつだが、およそ10年前に「子育て政策の統合」に執心していたのは当時の民主党政権で、鳩山由紀夫総理は、2010年に「幼稚園‐保育所の一元化」など子育て政策を統合することとして、「2011年には立法化する」と約束した。
一方、組織という「器」の問題にこだわっていたようで、内容と精神をどのようなものとするか、トップの見識の程度には驚かされた記憶がある。
2011年2月、衆議院予算委員会での質疑応答であった。
菅直人総理が社民党の阿部知子議員から質問を受ける。
阿部は、「通告にはないのですが」と断ったうえで、「日本は古くから子どもを大事にする国で、それは、イザベラ・バードの<日本奥地紀行>にも出てきます。総理はこの本を読まれましたか。」と問う。
一瞬、総理の顔が曇り、察した阿部は、「そうですか、仕方ないです。質問通告をしていませんでしたからね。」と優しく収めた。
しかし、ここで肝心なのは、事前通告の有無ではない。
質問前日の俄か勉強などどうでもいい。
仮にも新たな「子育て政策」を喧伝するならば、“日本の地域社会と家庭の中で子どもたちがどう位置づけられ扱われてきたかの歴史を、しかも、外国人女性の目を通して考察した絶好の資料を十分認識していなかったこと、そして、明治維新直後のわが国において、日本人がいかに誇りと矜持(きょうじ)をもって生活していたか”について、全く勉強しないままに、言葉だけが軽く踊っている政策立案、展開が驚愕なので、あまりにも歴史観、国家観が欠けていたのが情けなかった。
イザベラ・バードと宮本常一の解説
そこで、まずバードの文章を引用する。
第10信(日光)には、『私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり遠足や祭に連れていき、子どもがいないといつもつまらなそうである』
宮本は、もう少し深く分析して、以下のように解説する。
『これは、やはりいまわれわれが反省してみなければならない問題の一つではないかと思うのです。日本の親は、大いに子どもを可愛がっていたと思う。親が子に、仕事をしながら教えていくなんていうことは、イギリスあたりでは見られないのではないか。日本で技術が伝承されていったのは、こういう世界があったからで、このような形で育てていくことが親の義務だった。学校教育が進むようになってから、切り離されて学校がそれをやるようになった』(「日本奥地紀行を読む」から)
子ども家庭庁に期待する
権限が多岐に分散する省庁の統合事例としては、最近の「消費者庁」が挙げられる。
ここも、中央の人員規模は385人と小さく、都道府県、市町村に対する指揮命令権を行使して業務を遂行している。
スタート時には、関係省庁からの出向で対応せざるを得ず、「親元の意向を慮ってしまいがち」との批判もあったが、幸いなことに消費者庁も、2009年の発足から10年余が経過し、いわゆるプロパー職員割合も高くなってきて、組織の一体化は前進しているように思える。
貧富格差が拡大する現在、これからは、子どもをめぐる問題はますます大きくなるだろうから、こども家庭庁には消費者庁と同様に大きく育っていくことを期待したい。