学長コラム
【第8回】食料産業って何?
越後松代棚田群 星峠の棚田
食料産業って何?と聞きますと、多くの場合、「食料を供給する産業でしょう」という答えが返ってきます。
しかし、よく考えると、食料産業は食料としての「モノ」(食べもの)を供給するだけではなく、食べることに関連した「コト」(サービス、情報)も供給しています。
お腹を満たすためにレストランに行く人もいますが、多くの人は日常と異なるレストランの雰囲気や丁寧なサービスなどを味わいたくって行きます。モノとコトの両方を得るためにレストランに行くのです。
さらに考えると、食料産業は食べる「モノ」と「コト」を人に与えるだけではなく、環境に対しても多くの事柄を与えていることが分かります。
田畑や牧草地は、安定的な環境の維持に役立ちます。裸地に手入れをしないと、雨で土が流されたり、風によって土が吹き飛ばされたりして、肥沃な土地が失われます。また、これらの土が河川や湖に流れ込むと水中の有機物が増えて、水質が悪化し、ひどい場合は魚など生物が暮らせない水系になってしまいます。
農業では昔から地方毎に様々な農作物が作られ、多くの品種が維持されています。これによって、連綿と作物の遺伝子が保存されてきたといえます。近年は地域で保存されてきた品種である在来品種を見直そうという動きもあります。
水田や耕作地には、トンボ、クモ、タガメ、カエルなどの様々な生物が暮らしています。農地はこれら生物の種の多様性を維持し、遺伝子を保存する場にもなっています。
一方、田畑や牧草地など手入れの行き届いた農村風景はじつに美しいものです。日本の原風景と言われる棚田を思い浮かべてください。多数の田んぼに水が張られて鏡のように光る春の千枚田や、黄金色に輝く秋は訪れる人の心を癒やしてくれます。
このように、食料産業によって独特な生態系が形成されています。人は、この生態系から、食料、遺伝資源、安定的な環境、景観、観光の場など多くの恵みを得ています。「生態系が人間に与える恵み」を生態系サービス(ecosystem services)とよびます。すなわち、食料産業は生態系サービスから食料を得ると同時に、生態系サービスを支える産業でもあります。
まとめますと、食料産業は、食べる「モノ」(食料)と食べることに関連した「コト」(サービス、情報)を供給しながら、関連する生態系を支えて、人間に多くの恵みを与える産業なのです。
柿の在来品種の研究
果肉が黒く甘い伝内柿(松本辰也教授提供)
本学の松本辰也ゼミ(果樹園芸学)では地域から消えつつあった伝内柿に注目して研究を行っています。ときに渋いものがあるなどの理由で廃れつつありましたが、地域の人々はこの美味しい柿を復活させたいと願っていました。
ゼミではこの柿の木が胎内市と新発田市の30カ所に残っていることを確認し、人工授粉や樹上脱渋処理によって甘くする技術を開発して、果肉が黒くて甘い柿を復活させました。キャラクターを作って、ブランド化を進めています。
武井萌さん(アグリコース3年生)作成の伝内柿子さん。尖った顎やそばかすが伝内柿の特徴を表しており、私は大いに気に入っています。
この品種は、250年ほど前に柿の名産地である近畿地方から黒川藩(新潟県胎内市黒川)に持ち込まれたとされています。ゼミではこの歴史を調べるために近畿地方にも調査旅行に行っています。
この黒川藩の初代藩主は柳沢経隆(つねたか)で、徳川綱吉の御用人の柳沢吉保(よしやす)の四男です。吉保の長男、吉里(よしさと)が郡山藩(奈良県大和郡山市)に移封されたのは1724年で、同年に黒川藩は立藩されていますので、この兄弟の繋がりで持ち込まれたのではないかという説があります。
吉保は、吉良邸討ち入りで有名な赤穂事件において幕府の裁断に係わったとされ、赤穂事件を題材とした忠臣蔵では黒幕・悪役として描かれています。赤穂事件の吉良邸討ち入り後に切腹を申しつけられた四十七士の一人に堀部武庸(たけつね。通称、安兵衛(やすべえ))がいますが、安兵衛は黒川藩にほど近い新発田藩(二つの藩の間には三日市(みっかいち)藩という小さな藩があります)出身であることから、ここに関連付けて色々と想像を膨らませている人もいます。
ただ、討ち入りと切腹は1703年のことですし、黒川藩の初代藩主経隆は在任1年4ヶ月足らずで1725年に死去しており、赤穂事件や経隆は、伝内柿の伝来との関係は薄いのではないかと思われますが、今後の課題です。
今回が年内最後の学長コラムです。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りが旧暦の12月14日であったため、昔は必ず12月になると忠臣蔵がテレビ放映されました。雪がしんしんと降る静けさの中を太鼓を叩きながら四十七士が粛々と進む姿を見て、年の瀬を感じたものです。
(中井ゆたか)