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第24回 学問は学生に何を与えるのか

開学直前の新潟食料農業大学(2017年9月撮影)

マックス・ウェーバー著「職業としての学問」

大学は学問の府とよばれますが、学問は学生に何を与えるのでしょうか。
50年近く前ですが、私は大学院に入った時に、学問を一生の仕事にしたいと考えました。その時に出会った書籍が、マックス・ウェーバー著「職業としての学問」です。
最近この本を読み返しました。
ウェーバーは近代社会学の祖とよばれる著名な学者です。
「職業としての学問」はウェーバーが1918年にミュンヘン大学で行った講義を基にしたもので、今から104年前の1922年に出版されています。日本語訳では「職業としての学問」となっていますが、ここでの職業は「天職」、神から与えられた職業といった意味、ここでの学問は「科学」で、表題の意味は「大学において科学を天職として働くことをどのように考えるべきか」ということです。
大学教員になろうとする学生に対して、大学教員の職業としての特殊性、大学で教える科学というものの本質的な意味を説いたものです。
ドイツ語が原典ですが、和訳版を読みました。和訳に問題ありとの論考も多くなされていますので、英訳も参考にしましたが、言葉少なに語られていることもあって、正確に意味を取れない部分もありました。したがって、ウェーバーの考えからずれている可能性がありますが、私が理解し感じたことを、ここに書くことにします。

100年前のドイツと米国の大学教員

ウェーバーはドイツとアメリカの大学制度を比較しています。
当時のドイツでは、初任教員の給与は、講義受講者の数に応じた歩合制で、非常に不安定だったようです。一方、アメリカでは決まった給料は得られるのですが、多数の講義を受け持たされるため、研究に時間を割けないといった状況でした。さらには、どちらの国でも昇格は運次第なところがあって恵まれた職とはいえなかったようです。大学組織は内的にも外的にも形骸化しつつあり、彼は学問を職業とすることに悲観的な意見を述べています。
講義に割く時間が多すぎる、研究する時間が十分に取れない、給料が低い、昇格の基準が不透明などは、今日の日本の大学がなおも抱える問題です。100年経っても、世の中は大して進歩していないことを感じます。
さて、この本の中心をなすのは、学問を職業とする教員にとって、学問はその個人にとって内的にどのような意味を持つのかといったことです。その全体像を語るには長すぎますので、その一部、「大学で教える」といったことについて書きます。

大学の学問が与えるもの

本書には、大学で学問が与えるものは、第1には生活の役に立つ技術、第2には思考方法と考察方法、第3には「明晰さ」、と書かれています。
第1の技術と第2の思考方法は、彼の言葉を借りれば、八百屋に行ってキャベツを買うように、お金を支払って手に入れることができます。本学でいえば、技術としては、作物の栽培技術、食品加工技術、マーケティング方法など、思考と考察の方法は、実験・実習や演習です。
しかし、「明晰さ」は八百屋で手に入れることができるようなたぐいのものではありません。
「明晰さ」とは、究極的な問題に突き当たった時、言い換えれば、これまでの知識では答を出せない問題に直面した時に必要とされる「頭脳の明晰さ」です。究極的な問題に対しては、従来の技術に関する知識や、従来の思考方法では答を導き出すことはできません。「憧れて待っているだけでは明晰さを得ることはできない、別の途を歩む必要がある」とウェーバーは述べます。
言い換えると、「明晰さ」はゼロから何かを作り出す力です。この明晰さを鍛え上げるのが大学です。教員を予言者のように崇拝しても、正しい答えは出てきません。学生自ら、時間をかけて考え抜く必要があります。
私は、大学教員の責務は、教員を超える能力を持つ学生を育てることにあると考えています。豊富な知識の下に学生をひれ伏させ、自分の意のままに従わせるといった考えは、大学においてはあってはならないことです。


食味に関する実験

「頭脳の明晰さ」を鍛え上げる大学

ウェーバーは「気をつけなさい。悪魔は年をとっている。悪魔を理解するには歳をとりなさい。」と言っています。悪魔とは、根拠のない定説、形骸化した理論などのことで、長い間をかけて人々の心はこれらに絡め取られているので、ここから抜け出すためには、時間をかけてこれらの問題に真摯に向き合う必要があるといった意味でしょう。言い換えると、「待っているだけでは何かを作り出すことはできない。時間をかけて闘いを挑んで問題解決に導く必要がある」といったことだと私は理解しています。
「学問は学生に何を与えるのか」の答えは、まさにこのことだと思います。
大学は、八百屋が野菜を売るように技術や思考方法を切り売りしているのではありません。これまで体験したことのない問題に突き当たった時、それをのりこえるための「頭脳の明晰さ」を鍛え上げる場なのです。

新潟食料農業大学に当てはめれば、本学での教育は、食の総合的な知識や技術を与えるに留まりません。新しい食や食料産業を生み出す能力、すなわち創造性Creativityを身につけることを開学当初から目的としています。ちなみに、本学の精神は、自由・多様・創造、Liberty・Diversity・Creativityです。
本学は、技術や思考方法を切り売りしているのではなく、ゼロから何かを作り出す「明晰さ」を鍛える場を提供しています。
マーケットインの発想で問題解決に当たる、社会の即戦力人材を育成することが本学の特徴ですが、もっとも重要なことは、創造性にあります。すなわち、何かを創造する「明晰さ」を身につけることです。この「明晰さ」の付与が大学の神髄です。

ウェーバーが言った「気をつけなさい。悪魔は年をとっている。悪魔を理解するには歳をとりなさい。」という言葉を胸に、私も、これからも時間をかけて、じっくりと物事を考えて、前進していきたいと思います。
「何かを創造する『明晰』を身につけること」を常に意識して、じっくりと物事を考えることは、学生だけではなく、何歳になっても重要なことです。

(中井ゆたか)


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