学長コラム
第23回 清酒を造る酵母たち
清酒の製造に用いられる酵母
酵母は清酒の味や香りを決める重要な働きをします。
新潟食料農業大学では、地元のブナ林やハマナス、桜などから野生の酵母を分離しています。これらを使用して、すでに県内の2つの酒造メーカーが清酒を製造して販売しています。いずれもふるさと納税の返礼品に選ばれ、地域おこしに貢献しています。
一方、酒蔵に棲みついている酵母を使った清酒造りも日本各地で行われています。これは、蔵付き酵母(くらつきこうぼ)とよばれています。蔵付き酵母は蔵特有のものですので、他の酒蔵にない味わいを醸し出し、個性的な清酒を作る酵母として使用されています。
野生酵母や蔵付き酵母は最近の流行になっていますが、一般的には「きょうかい酵母」が使用されています。
「きょうかい酵母」とは公益財団法人日本醸造協会が頒布している酵母です。日本醸造協会は、1906年(明治39年)に醸造協会として誕生し、優良酵母の純粋培養に取り組み、同年に酵母の頒布を開始しました。それ以前は、酒蔵では蔵に付いている野生酵母を使用していましたが、毎回同じ酵母が増殖するとは限らず、仕上がる酒のアルコール度数や味などの品質が安定しないなど問題が多かったことから、この事業が始められました。
きょうかい酵母は、発見順に番号が付けられています。かつて分離された1号から5号は今は頒布されていません。現在、最も多く使用されているものは7号で、長野県諏訪の宮坂醸造の「真澄」から分離されたもので「真澄酵母」とよばれています。また、秋田の新政酒造から分離された6号「新政酵母」、熊本県酒造研究所で選抜された9号「熊本酵母」も広く使われています。
私はかつて宮坂酒造を訪問しました際に、社長の奥様のお勧めで「真澄 山廃 大吟醸 七號」を購入しました。後に、7号酵母は真澄から分離されたもので、日本で最も使われているきょうかい酵母だと知り、「七號」の名称の奥深さを感じました。7号酵母発祥の蔵元でなければ付けられない名前だったわけです。清酒はその云われや歴史を知ることによって深みが増します。日本酒は蘊蓄(うんちく)とともに楽しむものです。
「七號」は7号系自社株を使った伝統的な山廃づくりで丁寧に作られているとのことで、バランスの良い上品な味わいを堪能したことを思い出します。
新しい酵母を探す
清酒醸造には、きょうかい酵母、野生酵母、蔵付き酵母が使われていることを述べましたが、これらはすべてSaccharomyces cerevisiae (サッカロマイセス・セレビシエ)に分類されています。分類上の名前である学名は2名法で表記されます。ここでは、Saccharomycesが属名、cerevisiaeが種名です。清酒醸造に使用される酵母は様々なものがありますが、分類上は1つの種です。また、製パンに使われる酵母もSaccharomyces cerevisiaeで、同じ種です。
学名の2名法表記は、化石を含むすべての生物を対象としています。
ヒト(現生人類)はHomo sapience(ホモ・サピエンス)です。Homo属のsapience種です。有名なネアンデルタール人は現生人類の直系の先祖ではないとされることから、Homo neanderthalensisまたはHomo sapience neanderthalensisと表記されます。種または種より下位のレベルの亜種として現生人類とは別の生物の扱いをされています。ただし、ネアンデルタール人の遺伝子の一部が現生人類に受け継がれていることが確認されており、かつて両者に交雑があったのは間違いないようです。なぜ、ネアンデルタール人は絶滅し、現生人類が生き延びたのかは進化生物学の中でももっともロマン溢れるテーマの一つです。
さて、酵母に話を戻します。
清酒酵母Saccharomyces cerevisiaeとは異なる種の酵母から、発酵に適したものを探す研究も行われています。新潟食料農業大学で先月行われた卒業論文発表会でも発表がありました。
Saccharomyces cerevisiaeの近縁種として知られる、Saccharomyces paradoxus(サッカロマイセス・パラドクサス)を野外から分離するという研究です。
属は同じですが、異なる種に属する酵母です。この研究では遺伝子解析によって種の同定(この種であると決定する)を行った後、小仕込み試験を行って、清酒醸造における特性解析を行っていました。遺伝子解析も試験醸造で得られた酒の特性解析もしっかり行われており、素晴らしい発表でした。分離されたSaccharomyces paradoxusを用いて作られる清酒は、穏やかな香りを特徴とする低アルコールで濃醇(のうじゅん)甘口といった特性を持つ可能性があり、将来性を感じさせるものでした。卒論研究によって、実用化に繋がりそうな成果が出たことは、学生本人もさぞ嬉しかったことでしょう。
私がこの研究を気に入ったのは、このこと以上にサンプリングに関してです。
卒論学生がSaccharomyces paradoxusはやや冷涼な地域で分離されやすいとの報告を読んで、自らの足で山に登ってサンプリングし、それらのサンプルから酵母を分離したことです。
醸造に用いた株は、胎内市の奥にある飯豊連峰の大石山(標高1,561m)から分離していました。上級者向けの登山道を一歩一歩登りながら、どのような株が採れるのかとワクワクしながら、標高50mまたは100m毎にサンプリングする姿を思い浮かべて研究のロマンを感じました。
私は、研究対象の微生物は異なりますが、広大な自然の中に分け入って、そこにいきづく微生物を探しだし、これを持ち帰って分析したり大事に育てたりし、その微生物の特徴を明らかにする、その微生物の機能やその情報を人の生活に役立てる、こういった研究の進め方を大切にしてきました。
遺伝子や分子を扱っていても、その微生物が自然の中で生きる姿を心に描き続けることが研究の原点だと思っています。
(中井ゆたか)