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第28回 旅を味わう -古民家レストランと塩の道-

塩倉の壁越しに見る「やまさと食堂」


古民家を活用した本格レストランが大衆食堂に生まれ変わる

有名シェフの鳥羽周作氏が監修する古民家レストランが、地元の林業会社に引き継がれ、「やまさと食堂」と名付けられた大衆的な食堂に生まれ変わったというニュースがありました。
この古民家レストランは、築140年の古民家を長野県小谷村(おたりむら)が買い取って、1億2000万円かけて改修し、鳥羽氏の会社が指定管理契約を結んで経営するもので、開店当時はかなりニュースになりました。
古民家を素朴な農家レストランにするのではなく、有名シェフが都会のセンスで運営するということに、農村の歩む新しい方向を感じました。2023年6月の立ち上げ時の運営会社のSNSには「長野の人々と共に創り、長野の食文化を共に伝えていく」と書かれています。
しかし、運営されたのはわずか2年間。
私は、この場所に興味を持ち、行ってみることにしました。
小谷村は、大学自転車競技部のレース・アテンドのために毎年行く白馬村の隣にあります。
小谷村に続く国道148号は、海側の糸魚川から山に入ると、姫川渓谷に沿って山を削るように狭く曲がりくねるコーナーが続き、雪よけのスノーシェッドがいくつも設けられている険しい道です。ここを越えた先の少し開けた場所にあるのが小谷村です。ここまで来ると、のどかな秘境の村に入ったと一息つくことができます。国道沿いにはJR大糸線が走りますが、列車は1〜2時間に一本しかありません。この大糸線は存続が難しい状況にあると聞きます。
冬にはさらにアクセスが難しくなりますので、集客の難しさからレストラン経営は断念に至ったのだろうと思っていました。
しかし、実際に行ってみると、この古民家レストランは国道から少しだけ上がった場所にあり、その道をさらに車で2−3分進むと栂池(つがいけ)高原です。栂池高原といえば、バブル期にはもっともファッショナブルなスキー場の一つで、今でも高原リゾートとして人気があります。このように車で走ってみて、決して辺鄙な場所ではなく、人気スポットに近いことが分かりました。栂池高原からは歩いても20分程度で、高原に訪れた人は簡単にアクセスできます。
この食堂のすぐ横を「塩の道」が通っています。これは、古代から中世、江戸時代と牛に塩をつんだ牛方が歩いていた道で、その風景を目に浮かべることができます。塩の道を歩くツアーは人気で、当日も何人ものハイカーに会いました。歴史を感じながら、緑に包まれた美しい山里を楽しむことができます。
ロケーション、ストーリー性ともに申し分なく、この場所に鳥羽氏がレストランを構えた狙いがよく分かりました。ちなみに、運営会社の名前は「sio」で、鳥羽氏の塩加減が大切という思いが塩の道に合致しており、鳥羽氏にとっても最高のロケーションだったのかもしれません。


藁葺き屋根の「やまさと食堂」。写真の右から左下へと「塩の道」が走っています。

この建物を引き継いて新たにスタートした「やまさと食堂」を訪れました。
暖簾をくぐり、黒く光る板の間に上がって、テーブル席を選んで、蕎麦を注文しました。
しばらくして出てきた蕎麦はとても澄んだ綺麗な味わいでした。磨き上げられた古民家、縁側の向こうに延びる塩の道、山の緑と高原の空気。これらすべてをゆっくりと流れる時間の中で楽しむことができました。

塩の道


道の駅小谷に掲げられた塩の道の説明板

塩の道は、やまさと食堂の南側を通って栂池高原方面に続きます。軽自動車が走れる程度の幅で、その先は急な上り勾配になっています。逆方向の東側には道に沿って塩倉と牛方宿があります。


牛方宿(左)と塩倉。手前に千国街道の道標

塩倉は移築されたものですが、間口2間1尺(約4m)の半地下式の建物で、階上は塩の保管、階下は牛を繋いだようです。
牛方宿は、塩やその他の物資を運んだ牛方と牛が寝泊まりした宿です。入り口を入るとすぐ左が牛の係留場所、右上の中二階が牛方の寝床です。牛方は牛の様子をいつでも見られるようにこの場所で寝たとのこと。一般の宿泊客はいろり端やその奥で寝たようです。この塩の道を使って、牛や牛方だけではなく多くの人々が行き来していた様子がこの宿の作りからうかがえます。


牛方宿の牛小屋。ここに牛が繋がれたと説明を受けましたが、床の間に掛けられていた古図面ではこの場所は馬屋と記されていました。古図面では牛小屋は道の向かい側で、牛の収容面積はこの馬屋の3倍近くあり、鞍置き場も記されていました。かなりの数の牛が往来していたことがうかがわれます。


牛方宿のいろり。いろり端や奥の座敷が一般客の宿泊場所。

牛方宿を東に下ると、曲がりくねった急坂があります。この坂を上るのは牛にとって大変だったことでしょう。とはいえ、牛は急坂に強い動物です。私は道から外れた放牧牛を山の中で追ったことがありますが、人が這わなければならない急な山肌を牛は軽々と登ってゆき、私はまったく追いつくことができませんでした。牛は塩を背負っていても急坂をしっかり歩んだことでしょう。牛は偶蹄類(ぐうているい)ですので蹄が2つに分かれています。これも坂での踏ん張りに効きます。
若干なだらかになった坂の脇に馬頭観音の石碑がありました。
荷役には牛が使われていたのに、なぜ馬頭観音なのかと思いましたが、馬頭観音はすべての動物の苦しみを救う観音で、救うのは馬に限ったものではないとのことです。ここでは荷役につかわれる牛の無病息災や安全を祈願して立てられたものだと思われます。

この塩の道は、千国街道(ちくにかいどう)の一部です。新潟県の糸魚川と長野県の松本、越後と信濃を結んで120kmにも及び、日本各地にある塩の道の中でももっとも有名なものです。上杉謙信と武田信玄の「敵に塩を送る」伝説の道です。諸説ありその真偽は明らかではありませんが、物資輸送の重要な街道であったことは確かです。

日本各地の塩の道は、塩を内陸へ運ぶのが主な目的のため、このようによばれています。帰り荷では内陸の生産物が海側に運ばれるので、海と山を結ぶ交易の道です。
塩ではありませんが、岩手県の気仙川の流域では、山で採れた松茸を海辺の村に運んでアワビと交換する交易が行われていました。貨幣を介さない物々交換による流域経済圏が形成されていたようです。古来、その地にない物資を手に入れるための交易は人にとって重要だったのです。
昔とは異なり、今、多くの人が求めているものは「もの」よりも「こと」で、とくに旅行ではそれが顕著になりつつあります。
小谷村には、「今」だけではなく「過去」の「こと」など、様々あります。これらを食とともに味わうのは旅の大きな目的になります。
魅力的な「もの」と「こと」が溢れる小谷村。その旅の目的地の一つとなるよう「やまさと食堂」には静かに光る存在になって欲しいと願っています。

(中井ゆたか)


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