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第30回 卵は物価の優等生!?

68年前の私。庭には父の手作りの鶏小屋がありました。餌に水を混ぜて遊んだり、親を困らせていたようです。その頃からずっと鶏は私の身近な存在で、卒業論文研究で出会ったニワトリ原虫病が研究テーマの一つです。


スーパーの卵売り場では、値札を見るたびに驚かされます。
普通の卵1パックが300円以上です。小売物価統計を調べると2025年3月から300円を超え、2026年2月からはずっと315円以上です(全国のLサイズ10個入りの1パックの平均価格)。


価格の推移


これまでの卵価格の推移を見てみましょう。
まず、私が生まれた1954年、今の72年前ですが、卵1kg当たりの卸売り価格は、217円でした。卸売り1kgの価格が、小売りでは1パック10個の価格とほぼ一致します。
最近の値上がり前の卸売り価格を見ますと、2003年から2004年に120円台まで下がったことがありますが、1954年以降2021年までほとんどの期間、200円前後でした。
物価上昇を見るために、1954年の国家公務員の初任給を調べますと、 8,700円です。今は287,600円で、当時の30倍です。また、米は5kgで1954年当時132円でしたが、2025年には4,928円で、37倍に上がっています(東京都区部小売価格)。
このように日本の物価は上昇してきたにもかかわらず、卵はほぼ一定した値段であったことから、「物価の優等生」とよばれてきました。


価格安定の理由


何故、価格が安定していたのでしょうか。
勿論、生産者の努力も重要ですが、種鶏育種企業による鶏の品種改良、飼料会社や家禽栄養学研究による配合飼料の改善、養鶏場の大規模化、飼育方法の標準化、衛生管理の向上など、多方面における研究・開発の成果です。
また、養鶏は、鶏舎の梁1本のサイズを1mmでも削るなどしてコストを極限まで抑えるのが収益向上の秘訣とされ、細かく様々な改良を積み重ねることが得意な日本人の基質に合っていたともいえます。ブラジルでは、酪農や養豚はヨーロッパからの移民が得意だが、養鶏は日本人だと聞いたことがあります。日本の多くの人々の細かい努力の積み重ねが価格を安定してきたと言えるでしょう。


大規模化


工業製品同様に、畜産業においても規模の拡大によって低コスト化は実現できます。
1954年には1戸当たりの飼養羽数は、9羽でしたが、1970年には70羽、1990年には1,500羽を超え、2025年には、8万5千羽を超えています。今では100万羽を超える養鶏場も珍しくありません。このような大規模化が低価格維持に大きく貢献しています。


配合飼料


私が子供の頃にすでに配合飼料は使われていましたが、戦後小さな養鶏場を始めた祖父に頼まれて、トウモロコシや魚粉などに加えて、菜っ葉や野草を切って与えたことを思い出します。1954年の卵価は、公務員の初任給から計算すると1kg6,500円に相当します。戦後のこの時期は、手仕事で飼料を準備するなど効率が悪いものの、養鶏は収益が上がる農業として魅力的でした。
その後、養鶏規模が拡大するにつれて、自家配合から、飼料会社による配合飼料が一般的になります。飼料会社が海外のできるだけ安い原料を探して、それらを組み合わせて栄養バランスの良い配合飼料を生産するようになりました。これによって、安価で栄養価が高い飼料が供給されるようになりました。


施設整備


飼育方式は、床に放し飼いする平飼いから、高床式のバタリーへと代わりました。さらには飼育施設が、窓のない外界から遮断されたウインドウレス鶏舎へと代わって行きました。これらによって、狭い場所で多くの鶏を飼うことが可能になり、生産効率が大幅に上がりました。


地鶏の卵。明治時代までに国内で成立し、または導入され定着した在来種は38品種ありますが、それらの卵は地鶏卵と呼ばれ、希少価値もあり高値で取引されています。




鶏の育種


30年も前のことですが、家禽飼養学(鶏の餌と栄養の学問分野)の大家の教授が学会の特別講演で、自分は飼養学の立場から餌や栄養の改良を行ってきたが、餌などの改良の効果は、鶏の品種改良に比べてはるかに小さかったと話されたことを思い出します。専門の飼養学よりも育種学が養鶏の生産向上に貢献していたということです。科学的エビデンスに基づいて、餌の改良より、新品種の作出の方が効果的だったと、分野外の成果を讃える教授の謙虚な姿勢に私は感服しました。
鶏の品種改良は日本国内でも広く行われ、私が大学に入った1970年代にも有名な養鶏家が全国に沢山いました。
私は卒論や修士・博士論文の研究のために多くの鶏の雛と卵を使用しましたので、それらを分けて貰うために仙台市内の種鶏場に随分通いました。場主の岩谷龍一郎氏から、毎回様々な話を聞くのが楽しみでした。ここの種鶏場では、日本の養鶏に合った白色レグホンの系統を改良育種し、当時の国内最高の産卵能力と強健性をもった優良系統を作出し、イワヤ515と名付けて、各地の養鶏場に販売していました。岩谷氏は、国産の純系にこだわった系統造成を行った鶏育種家の頂点に立つ方で、言葉の端々から鶏育種に関する確固たる哲学を感じることができました。
学部の授業で、牛や羊の科学的育種を行った「家畜育種の父」ロバート・ベイクウェル(英国、1725-1795)はCountry Gentlemen(地方に住む教養や財産を持つ男性)と呼ばれたと聞いていましたが、岩谷氏もカントリージェントルマンとよぶに相応しい教養人でした。
このような高い識見を持った育種家の努力もあって、日本の産卵鶏の改良は進められていました。これと並行して、海外からも系統の輸入が行われていました。種鶏の輸入が自由化されたのは、1962年からです。大学の授業で、青い目の鶏に日本の養鶏界は席巻されていると説明されたことを思い出します。鶏ですから、眼は赤いのですが、外国生まれのためそうよばれました。
日本では、1羽1羽の能力を高めることに注力し、365日毎日卵を産む鶏を作ることに挑戦したり、高い能力の個体の育種に力を入れていましたが、海外では、鶏を群として捉え、群全体として安定的に多くの卵を産む鶏を作出することを目指していました。
日本ではまだ小規模の養鶏場が多かったため、個体の能力に目が行ったのは仕方ありませんが、経営規模の大型化に伴い、日本でも群としての能力の高さを求めるように変化して行きました。その結果、日本の産卵鶏系統は衰退し、大規模養鶏ではほぼすべてが輸入系統の鶏に置き換えられました。


産卵鶏の能力向上


1948年の記録では、1羽当りの年間産卵個数は100個、卵を産み始める日齢は218日とされていますが、今は、産卵個数300、初産日齢は150日です。すなわち、産卵鶏の能力は3倍以上になっています。このことは、大いに卵価を抑えることに繋がっています。
卵1kgを生産するのに必要な飼料量(kg)を飼料要求率(FCR)とよびますが、1950年代は3.0〜3.5でしたが、今は1.9前後です。鶏が卵を産むのに必要な餌は、4〜5割少なくてすむようになっています。

以上をまとめると、品種改良の結果、産卵鶏の能力が向上し、少ない量の餌で多くの卵を産む鶏が登場し、飼料が改良され、供給体制が安定化し、衛生的で大規模な飼育技術が確立されたことなどの相乗効果で、卵価は物価上昇に逆らって、安定的に維持されてきたといえます。


近年の卵価の乱高下


しかし、2023年以降、卵価は不安定です。
2月に卵価が高騰し、その後6ヶ月間は320円以上の高値を記録しました。とくに4月と5月は350円で、これまでの最高値です。
この時の高騰は、トリインフルエンザによって採卵鶏成雌の1,771万羽が殺処分されたことと、飼料高騰が原因とされています。殺処分の羽数は全国の飼養羽数の13%にも及び、多大な影響を及ぼしました。飼料高騰の原因は、中国需要拡大、ロシア侵攻による穀物流通量減少、中国・ロシアの輸出規制、歴史的円安など複合的です。
この後、採卵鶏が再導入されて卵の供給量は増え、加工用の需要が回復しなかったこともあり、価格は下落しました。下落した価格は、国で定められた安定基準価格を下回ったため、2024年1月以降には鶏卵生産者に対する国の支援策(鶏卵生産者経営安定対策事業)が発動され、再び価格は上昇し始めました。その後は、夏の猛暑、2025年1月のトリインフルエンザ発生などにより供給量が減少して高価格となり、さらには年末にインフルエンザの発生やクリスマスと正月の需要等が相まって、高価格で推移してきました。2026年の4月から7月は、前年度同期比9.2%低下と落ち着きを取り戻しましたが、この先の価格は不透明です。

2023年以降を見ると、卵は以前のように安定的に安価ではなく、価格は乱高下を繰り返して不安定です。今、卵は、感染症、世界経済、国の施策などに翻弄される存在となり、「物価の優等生」は過去の称号になりつつあります。


(中井ゆたか)


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