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【第33回】上中下、前後、上る・下る

上中下 
「上越」という言葉で何を想像しますか。
群馬県と新潟県を結ぶJR「上越線」、
こちらは、旧国の上州の<上>(上野=上毛の国)と越後の<越>を取っています。
また、新潟県の直江津と高田が合併した新地名の「上越」市の場合には
国の「中心」である「京都」から見た方向感覚です。
つまり、京都に近い方が「上」で、離れるに従って、「中」、「下」となっていきます。
新潟県の地理区分でも、上越市のある辺りを上越地区と、長岡市がある辺りは中越地区、
新潟市がある辺りは下越地区と呼んでいます。
そして、佐渡を入れて、新潟は、4地区に区分されています。天気予報もそうなっていますね。

前(中)後 
これも京都に近い方が「前」、離れるに従って、「中」、「下」となります。
北陸地方は、京都に近い順に<越前>(福井)、<越中>(富山)、<越後>(新潟)となりますが
最初は、「越(高志)の国」一国でした。
7世紀末に3国に分かれその「越前」から、能登(718年)、加賀(823年)が分離されたのです。 
東北地方では、羽前(山形)、羽後(秋田)、陸前(宮城)、陸中(岩手)、陸奥(青森)という順番で
関東地方では、千葉が、上総、下総、安房と分かれます。
陸路からいえば下総の方が京都に近そうにも思えますが
かつては相模(神奈川)からの海路が主で、こうなったのでしょう。
平氏に追われた源頼朝も海を渡って房総半島に逃げ込みました。
隅田川にかかる「両国橋」は、武蔵、下総の2国の国境が名前の由来です。

上る・下る・下(くだ)らない 
京都から江戸へ行くのが「下り」、江戸から京都は「上り」です。
いまは東京へ出てくることを「上京」といいますが
天皇陛下のおられる「東の京」が東京ですから、「上る」となるのです。
その一方で、京都を漢、隋、唐時代の都「洛陽(らくよう)」に見立てて
京都に向かうことを「上洛(じょうらく)」ということもあります。
つぎに、「下らない」の語源です。
かつて、日本酒の名産地は、上方の伊丹、池田、灘で
そこから、大消費地の江戸へと「樽廻船」などで運びましたので
美味しい酒を「下り酒」、美味しくないのは「下らない」と称しました。
上方の新酒を競争で早く運ぶ「新酒番船」これが大人気だったと
平岩弓枝さんの『御宿かわせみ』(初春弁才船)にも登場します。

関東の酒は「地回り悪酒」などといわれ評価が低く
幕府も米を与えるなどして品質向上に努めましたが、結果はさんざんだったようです。


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