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【第68回】インフルエンザと 「スペイン風邪」

第一次世界大戦

日本史の年表で「社会生活」の欄を見ると、
<1918~19年、インフルエンザ(スペイン風邪)大流行>とあります。
なぜこのころ流行し、なぜ「スペイン風邪」という名前がついたのでしょうか。
それは、第一次世界大戦(1914~1918年)と大きな関係があります。
戦線は膠着(こうちゃく)し、枢軸国と連合国は塹壕(ざんごう)の中で睨み合っていました。
この戦争の帰趨(きすう)を決めたのは、
ドイツの戦略間違い ②枢軸国側への補給の枯渇
そして③インフルエンザと兵隊たちの栄養状態だったというのです。
アメリカの参戦により、大量の若い兵隊が西部戦線に投入されましたが、
同時に、アメリカで流行中のインフルエンザを持ち込むことにもなりました。
そして交戦国は弱点になる情報は秘密にします。

 

情報公開が仇(あだ)?

ところが、戦争当事国ではないスペインでは情報制限がなかったので、
ここでのインフルエンザ大流行は、世界に報じられるところとなり、
あたかもスペインが発生源の風邪であるかのごとく伝えられました。
濡れ衣です。

このインフルエンザは、英米仏独いずれの兵隊にも伝染して、影響を与えました。
しかし、より強烈なダメージは補給不足・栄養不足のドイツ兵に与えられ、致命的だったのです。
それにしても、戦争終結後ただちに日本に伝染し、
免疫力のないわが国ですぐに大流行とは恐ろしいことでした。

 

総力戦に負けたドイツ

余談ですが、この大戦で開発・使用された航空機、化学兵器、潜水艦、戦車などは、
農業と深い関わりを持っています。
戦車はトラクターのキャタピラから誕生し、化学兵器(毒ガス)は後に農薬となります。
また、肥料原料を輸入制限されたドイツでは、
ハーバー・ボッシュ法開発で、「窒素の空中固定」に成功します。
その後のナチスドイツでも、経済封鎖に備えて「有機農業」が推奨されました。
女性労働力動員を容易にする「システムキッチン」、
若い兵隊の育成に役立つ「ワンダーフォーゲル~ヒットラーユーゲント」も
裏から見ると、そういう役割があったとも考えることができるのです。

 

※藤原辰史、飯倉章、NHK(20世紀の映像)などの著作を参考にしています。


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