学長コラム
【第76回】地名、駅名、路線名など
燕・三条
「駅名学入門」(今尾恵介・中公新書ラクレ)に
“上越新幹線の「燕三条」という駅は、新潟県燕市と三条市の境界あたりに設けられたが、
三条と燕のどちらを先にするかでまとまらなかったのを、
かの田中角栄さんが鶴の一声で駅名を「燕三条」として、その代わり
北陸自動車道のインターは逆順の 「三条燕」 にすることで妥結させたという話も聞く”とあります。
佐久・小諸 →「佐久平」
「信濃の国殺人事件」(内田康夫・徳間文庫)から引用します。
北陸新幹線について
“軽井沢から上田まで直線を引くと、その線上には「小諸」が重なる。
在来線の信越本線もそのルートを走っているにも拘わらず、
新幹線は軽井沢からいったん南西に向きを変え、わざわざ千曲川の向こうに渡って
佐久市に新駅を作り、さらに北西に進路を変えて上田に向かう。
たぶん、誘致反対活動があったのだろう。
新駅の名前を決める段になって「佐久小諸にせよ」とクレームをつけるのだが、
佐久市が応じるはずがなく「佐久平」になったのだろう”と解説します。
確かに、広い地域地名では小諸も佐久(郡)に入るのですが、
佐久市は「駅の設置に反対した小諸が何をいうか」と応じず、
JRの折衷案で「佐久平」になったということでした。
大糸線が避けて通った「池田町」
新潟県・糸魚川から長野県・松本まで南の北を貫く大糸線は、開業以来100年が過ぎる古い路線です。
名前の由来は<大町-糸魚川>にあるのですが、
大町以南の国鉄、私鉄線とつながって、現在の終点「松本」まで延伸されました。
大糸線で運ばれる信州特産の一つに繭(生糸原料)があります。
かつて重要な輸出品で日本経済を支えていたのが、諏訪地方や群馬の製糸業でした。
信州・北安曇の繭は、大糸線を通って生糸の加工地に出荷され、
最終的には横浜の港から輸出されていました。
大糸線、中央東線、八高線(高崎-八王子)、横浜線は生糸街道を形成する基幹路線だったのです。
蚕・繭の生産地である長野県の北安曇郡池田町では、
大糸線の敷設と駅の設置を計画した際に、
蚕のエサ桑を育て、蚕の眠りを妨げない静かな環境が必要だと主張・反対して、
大糸線はやむなく迂回、駅も現在の松川村(細野)に設けられたとも聞きました。
安曇地域の蚕は品質が良く、
安曇野市・三郷の天蚕で作ったストールは「ふるさと納税」の返礼にもあります。
蛇行する新京成線
千葉の北総台地を行く新京成線は、平坦な地形なのに
松戸から常盤台、鎌ケ谷、津田沼とわざわざ曲がりくねって走ります。
これを「ふしぎな鉄道路線」(竹内正弘・NHK出版新書)では
“鉄道敷設部隊の訓練・演習線だったので、訓練のため敢えて種々の条件を作る、
障害を避け効率的路線とする演習で地形のとおり厳密に緩やかな勾配に沿わす、
大隊規模の演習線基準=45kmを確保するためにわざと遠回り”と説明します。