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【第85回】「地域経営学」の開祖・二宮尊徳

「地域経営学」の開祖・二宮尊徳

 今回は、ちょっと難しい話をしましょう。一万円紙幣の肖像画ですが、これまでの福沢諭吉に代わり、「日本近代資本主義の父」といわれた渋沢栄一になります。
それよりもはるか前、「道徳と経済の一元」を唱え、地域経営に成功した人物を取り上げます。

 

二宮金次郎の銅像

二宮尊徳(金次郎)に、どんなイメ-ジを持ちますか。「薪を背負い、手には本を持ち歩きながら読書する銅像」でしょうか。

“貧しいが、勤勉で向学心に冨み、国家の発展に貢献する人物像”

銅像は、富国強兵と国民教育の普及の意図をもって、明治中頃から盛んに建てられ、全国ほとんどの小学校に存在したのですが、いまはあまり見かけません。
当初のお手本は、近代のアメリカが目指した<勤勉・独立、好奇心に富む市民を育てる教育>の姿で、「説教色」は強くありませんでした。曲解・悪乗りと思えます。

 

二宮尊徳の業績

誤解される「二宮尊徳」ですが、真の姿は、「地域経営学者・実践者」とでもいうべき人物でした。封建制度の江戸時代にありながら、資本主義の目指す経済の姿・仕組みに気づいていました。

尊徳は、1787年に小田原に生まれ、全国各地の藩、村などの要請に応えて、地域の再建を図りました。手法は、「経世済民(けいせいさいみん)」 と「報徳思想(ほうとくしそう)」がセット、きわめて科学的で経営の原則にかなうものでした。
その地域の米の単収など生産性年貢の徴収法(勤労意欲)、人口の動向など統計デ-タに基づいて過去と現状を分析、将来の発展可能性、具体的な対策・過程を提示して、「地域経営政策」の実践をする方だったのです。

尊徳は、数字が整い、入手できるまで動かない、無理な資金計画は立てません。現在の金融機関がやっているようにきちんと「経営計画を診断」、単なる運転資金ではなく、成長・見返り・成果が期待される「投資に対してのみ融資する」の手法です。

<ひたすら節約・勤勉=手段の目的化>ではなく、社会構造、経済動向を科学的にとらえた実践・活動は、奇跡的でした。

 

「以徳・報徳の教え」は、いまでも

 二宮尊徳の教えとして、つぎの3つを挙げることがあります。

<以徳報徳(徳を以て特に報ゆ)> 他者からいただいた徳には、徳をもって応える。

<至誠勤労(しせいきんろう)> ひたすら誠実さをもって勤労にいそしむ。そして、

<分度推譲(ぶんどすいじょう)> 適度な度合(分をわきまえ)で、計画的に暮らし、そこから生じた余力は未来の自分と他者に使う。

余力=蓄えは、「運転資金」に費消するのではなく、将来への「投資」や「社会還元」に用いるのです。
今日本の企業は、総額500兆円に近い「企業内部留保資金」を保有していますが、これはとても目先の株価向上などでなく、将来への投資、非常時への対応、地域社会への貢献に用だてる方向に行くとよいですね。 

企業といえども、地域社会を離れての存在はありえないのです。

(報徳学園のHPなどを参考にしています)


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