学長コラム
【第119回】楽しい話、いい話、気になる話 その3
このシリーズも3回目、とりあえずの最終回になりました。
今回は、農政、経済、社会の事象に属するメモを選んでみました。
あらめて35年前のメモ帳(1987年)を開いてみると、「最初のページ」に貼られているのは、“YOUTH”「青春とは」でした。
なお、機会があれば、「新たに加わったメモ」もいずれは選び出して披露することにしたいと思います。
「青春とは」
米国アラバマ出身のサミュエル・ウルマンが書いた詩がベースになっています。その要旨は次のとおりです。
<若さとは、年の経過時間(年齢)のことではない。気持ちの状態のことである。熱意、理想、勇気、冒険心、愛情など・・・人は、時間が経過し、年を重ねたことで老いるのではない。人は、理想が枯渇したときに老いてゆく>。よい言葉だと思います。
模範解答を離れて
人生や社会の問題は入試問題とは異なり、すべての材料が与えられているわけではなく、模範解答もない。
実社会では、新しい付加価値を生む能力や“イノベーション”が問われる。
ここには、「単なる技術革新だけではなく社会制度の革新が含まれている」(シュンペーターの経済学)
必死の努力を積み重ねても、成功率は極めて小さいのが現実であるから、簡単に「イノベーションで日本再生とか、模範解答のイノベーション」などというのは間違っている。(坂井修一)
ウルマンの詩にもあるように、(開拓を待つ荒野が広がる)「未知の世界を切り拓く冒険心」が最もっとも大事だということなのでしょう。
神の見えざる手
しばしば、アダムスミスのこの表現が取り上げられますが、浜矩子さんは、「みんなが美しい感情、道徳を持っていることを前提として競争するから、神の見えざる手が働く」ので、これは、新自由主義者(のいう自由競争)とは違う。また、中国は、社会主義的な自由主義で、宗教に裏打ちされた倫理観がないから、新自由主義に近いとも言っています。
流域圏という考え方
土地を点としてとらえず、「流域圏で見る」という“水系主義”が哲学の原点にある。(「下河辺淳小伝」による)
「日本は、江戸時代、300の藩ごとに、山奥から谷、丘陵部を経て里山、水田、畑、町から港へ行って海に入る。“水系という一貫した流域圏”を持っていた」という。
国土の部分の集合ではなく一体としてとらえる、流域圏を「みんなのもの」(=Public)として互いに思いやって暮らすことが不可欠なことなのです。
デトロイトの都市農業
自動車産業の衰退により、人口の減少、財政の破綻に見舞われたアメリカのデトロイトは、地価が下がり、住民に支えられた「有機農業」が復活し、「地産地消」を通じて、地域住民の絆(きずな)が生き返りました。
まさに「CSA」(Community Suported Agriculture)の実践例でしょう。
(斎藤幸平の『人新生の「資本論」』を引用した日本農業新聞から)
離見の見
能役者の世阿弥が残した言葉です。「役者から」どう演じるかではなく、「離れて見ている観客がどう感じるか」が肝心というのです。政治でも同じで、あまり近くで見すぎて速効性ある政策は、好ましくない。
遠く、大きい視点から見るべきなのです。嫌がられてもよい、将来の成果で評価されるのが正しいのです。
英国のサッチャー首相も「近視眼的、速効性をもたらす政策は 国を誤らせることになりがちで、“苦い真実に直面できる勇気”が大切です」と演説しています。