学長コラム
【第121回】英語のこぼれ話 その6-②
杖を取ってほしい(Gentleman, Bring me Cane, please.)
1985年のサン・フランシスコでのこと。フィッシャマンズ・ワ-フ辺りで買い物や食事をしようかと坂道を下っていけば、そこにはかなり年季ものの車が止まっており、運転席から声が聞こえる。80歳は超えていようかと思えるご婦人だ。後部座席の方を指さして、“Gentleman , Bring me cane , please ”と来た。
「なに、Cane?」その瞬間、中学で習った英単語がよみがえる。いまは「stick」が一般的だが、まだ生きていたのだ。それよりなにより、世の中に貢献してきた高齢者が堂々と若い世代にものを頼む、その行動に感心した。私は、外国人、30代の若者だった。
Are you OK ? (大丈夫?)
同じSFでのこと、土産物屋のなか、フロア-に転倒した男性がいた。こちらが、“Are you OK ?”と気遣いの言葉をかけたところ、返事は明確で、“No , I am not”
日本人なら、少々痛くとも、「大丈夫、ダイジョブ」と来るところ、Yes ・ Noをハッキリ区別する行動に改めて得心してしまった。
ちょっとわき道に逸れる。
大学1年生のころ、早稲田大学から講師に来ておられた英語のS先生がこんな話を披露した。
「英会話教室などでパタ-ン化された文章ばかりやっていても、内容が伴わなければ本物にはなりません」「S大学の英語の試験で解答に呻吟している学生がいたので、“ How are you ? ”と声を掛けたら、“I’m fine thank you . And you ?”と返って来た。全然Fineじゃないのにねえ」
使える英語、切れる英語を心掛けたい。
人はそれぞれだ( It’s OK , Not me )
ここからは、少々難しい事例を取り上げたい。
古きよき時代のアメリカは、それぞれの人間、個々人の生き方(Way of Life)を尊重していた。
アメリカ社会で活躍していた日本人女性に聞いたことがある。
「多様性(Diversity)の時代といわれるが、どう考えたらよいか」
「米国流にいえば“ It’s OK , Not me ”ではないだろうか」
It’s Novel and Un-precedent .(奇々怪々にして前例なし)
外交交渉の英語経験を取り上げる。
1987年の日米交渉(GATT農産物12品目パネル協議)は、スイス・ジュネ-ブで行われた。日本の農産物輸入制限のGATT合法性の審査を日米以外の第三者に委ねる法廷裁判のようなもので、厳しい応酬があった。
日本側のある種の主張が「直接の証明」ではなく、「類似事例の援用」であったことに対して、アメリカが反論に用いたワ-ドがこれである。「ノ-ベル? なんだ、小説か? ノ‐ベル賞か?」と、騒然。プロの外交官もすぐには気づかない用語が使われた。
無駄だよ、どうせ連中は眠っている (It’s no use , Guy’s asleep )
日本人は、会議などの際に話を集中的に聞くために、目を閉じて聞くことがある。座禅のときも、完全に閉じる、眠るのではなく「半眼」という「精神集中のための作法」があるようだ。
ある国際会議で議論が紛糾したとき、相手側の主張に対して、目を閉じ(実は半分開き)腕組みをして聞いていた日本代表に、相手方が発した非難の言葉だ。交渉の達人であった日本側外交官から、間髪を入れず“ No I am NOT ”。これは聞いた話である。
Last Thing in my Mind
1972年、新宿の「厚生年金ホール」でフォーク・グループ “The Brothers Four” がカバーして歌うのを聞いた。よい曲で好きだが、歌詞は甚だ難しい。
日常は使わないと思うのだが、母国語(Mother tongue)として通用しているからこそ歌詞に盛り込まれる。
その文章はこうである。“I could have loved you better ”と、
これは「仮定法過去完了」なのだが、ともかく仮定法は難しい。
好きな歌でもなければ、日本人は、生涯、決して使わない。