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【第141回】肥料の国産化ー究極のSDGsとは?


ちょっと毛色の変わった話をしたい。

ロシアのウクライナ侵攻と経済制裁の下で、需給がひっ迫し価格が高騰している農業生産資材、とりわけ肥料原料について過度な海外依存から脱却し国内での生産を強化することが重要課題になっている。そのカギを握っているのが下水汚泥と堆肥である。


政府・JAの見解
 

先ごろ開催されたJAの農政確立大会では、「国内の肥料資源の有効活用を促すため、下水汚泥の積極的な活用や、堆肥センター、ペレット・混合肥料工場などの施設整備への支援拡充を要請し、土壌診断を踏まえ、施肥量を減らして低コストにつなげる栽培暦の見直し支援なども提起した」と報じられる。

また、岸田総理も、「(下水汚泥など)未利用資源の利用拡大により、肥料の国産化。安定供給を図る」と述べており、すでに、農水省、国交省の共催で「官民検討会」もスタートした。この点についてのポイントは、まずは農業者や消費者の理解である。加えて、コストでは、戦火が収まった平常時において、輸入原料由来の肥料との価格競争に耐えられるか、円滑な流通が実現できるかであろう。非常時のみの対応策であれば長続きしない。


堆肥生産・利用のシステム化 

堆肥については、現状では種々の条件が整わなければならない。まずは十分に成熟した堆肥づくり、土壌診断、そして、必要な成分を必要な量、箇所に効率的に施用する技術といったトータルのシステムである。


愛しのクレメンタインは肥やしに? 

さて、話はやや飛躍する。日本では「雪山讃歌」に改作されて普及しているが、アメリカ映画・荒野の決闘の主題歌「愛しのクレメンタイン」の歌詞の中には、<死んでしまったクレメンタインが教会の墓地に葬られ、バラや銀梅花(マートル)の肥やしになっている>(Fertilized by Clementine)というくだりがある。そういえば、墓地のことを<Pusing up Daisy>と呼ぶ場合もあるようだ。


堆肥葬 

人の遺体は肥料になるのだろうか。論理上はそのとおりであるが、感覚的に受入れが可能なのか、法律上で許されるのか。友人のニュースでは、「アメリカ・シアトルでは究極のSDGsが始まった」と知らされた。米ワシントン州では、2020年5月から、人間の遺体を栄養が豊富な土に生まれ変わらせる「堆肥葬(有機還元葬)」=遺体のコンポスト化が始まっているというのだ。約30日をかけてゆっくりと土に還し、親族・友人たちは、持ち帰って園芸に使うこともできて、引き取られない場合には、森に返すそうだ。森林のワシントン州らしい試みである。環境を汚染せず、火葬のエネルギーもCo²の排出も抑えられる。そして、なによりも、人口の増加で、土葬や火葬後に葬る土地は不足している。「人間の遺体をコンポストすることは環境に対して責任のある弔い方だ」と主張する方々もいる。思い切った「究極のSDGsの道」同調する人は広がるだろうか。


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