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【第154回】英語のこぼれ話 その7 ‐ 西条八十の英語、日本語

 

ときどき「学長コラム」でお話しする「英語のこぼれ話」も7回目になった。
今回は、英語の歌をどう翻訳して、その意味とニュアンス、そして日本語のリズム、アクセントなど違和感なくフィットさせたか、いくつかの例を紹介したい。

 

誰が風を見たでしょう ‐ クリステイーナ・ロセッテイ

4月15日付けの読売新聞(編集手帳)に、ロセッテイの詩では「風は見えない」とあるけれど、『花粉症の私には見える』という洒落た短歌が紹介されていた。黄砂の今日ならばなおのことだろう。

さて、これを訳した、というより、原曲から「新たに日本語の『風』を作詞した」西条八十は、英語の詩の文法、心情、内容と日本語の美しさ、使い方、曲のリズムやメロディ、ハーモニーと調和のすべてを心得た「稀代の詩人」というべきだろう。

文法学習上も有益で、英語ニュアンスの伝え方のよい例として挙げたい。
“Who has seen the wind? Neither I nor you.”=経験を問う現在完了形どちらでもないという両否定、似た構文としては“either A or B”があるが、こちらは「A・Bどちらか一つ」であろう。
2番目の歌詞では、“Neither you nor I”と『You と I 』が入れ替えられていて、変化をつけている。

西条八十の訳詞では、「誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない。けれど木(こ)の葉をふるわせて 風は通り過ぎてゆく」。
1921年の「詩集・赤い鳥」に発表されたこの童謡だが、曲とピタリ決まっている。
ずいぶん前、五輪真弓と由紀さおりが歌っているのを聞いて「ああ、いい歌だなあ」としみじみ思った。

 

もう一人の作詞家・津川主一

いまでも多くの人々に歌われているフォスターの名歌曲を素晴らしい日本語に訳詩したのがこの人、津川主一である。
訳詞家は、作詞家でもあり、英語には精通し、なおかつ「美しい日本語の使い手」でなければならないというが、そのとおり。
津川の訳したフォスターの歌曲は、「おおスザンナ、故郷の人々、ケンタッキーのわが家、金髪のジェニー、夢路より」のように、全く抵抗なしに歌えて、まるで日本の曲である。

余談になるが、おおスザンナには、「電線で川を下って、電流を上げ、500人の二グロ(Nigga)を殺した」とのくだりがあり、いまでは人種差別問題としてか、インターネットは「Nigga」が○○と伏字になっている。

 

翻訳しづらいのは 「峠のわが家」?

この曲の原詩(Home on the Range)の一番は、次のとおりである。
“the buffalo roam” “the deer and antelope play”と日本人にはなじみの薄い動物が登場する上に、その極め付きは、“seldom is heard a discouraging word”という、めったには見かけない文法(倒置構文?)が使われている。
カンサスの州歌でもあるのでアメリカ人には一般的なのだろうが、メロデイ―のなじみよさ、素晴らしさとは対照的に、私たちには難解だ。

少し解説を加える。
通常の構文ならば「a discouraging word(落胆の言葉)」は「is not (=seldom) heard(ほとんど聞くことがない)」とでもしたいところだ。
この結果、多くの訳詞家は、ここを無視、日本人のイメージから詩を書いて(作って)おり、例外的に、龍田和夫のみ、「悲しみも憂い(うれい)もなき 微笑みのわが家」と心温まる訳詞をしている。
Oh It’s Good Job!

なお、Rangeは峠ではなく「放牧場」であり、また、西部劇で有名な「OK牧場の決闘」は、原詩では「Gun-Fight at OK-Corral」、広大な牧場ではなく、「集出荷のための牛の囲い場」だ。


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