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【第156回】「柳田國男先生随行記」 を読んで

皆さんは、「遠野物語」を書いた柳田國男(やなぎたくにお)をご存知のことと思います。
柳田さんは、日本の民俗学を開拓した第一人者ですが、優れた農政学者でもありました。
大学を出てすぐ農商務省に入りましたが、最初に取り組んだのが農村部における産業組合(いまのJAの前身)の普及です。
仕事を通じて農村部を広く足しげく回ったことが、後に民俗学の研究に繋がっていきます。


これから紹介する「柳田國男先生随行記」は、太平洋戦争開戦の直前1941年11月に、柳田のかばん持ちとして東京から九州まで約2週間旅行したときに、ほめられ、叱られ、指導された数々の出来ごとについて今野園輔さんが記した率直な日記です。

書評をした金田一秀穂さんにいわせると、「さしずめ芭蕉・奥の細道での曾良随行日記に当たる」といいます。

このなかで、とくに、物ごとの見方、地域社会と人々の歴史・くらしの多様性について述べているところが印象に残りましたので、以下に、抜粋して紹介します。

 

①いい文化は、古いものにもあり得るし、新しいものにもあります。これだけは子々孫々残さねばならぬというものを見つけなければなりません。
また、教育の根本から変えて、一人一人が価値批判のできるようにしなければなりません。(変えなければならないことと変えてはならないことの峻別が大事である)

 

②文化とは複合体で、綾織のように組合せは種々雑多です。
一番色のあるところが出るのです。(根こそぎ違うのではなく組合せが違う。これをCulture Complexという)
文化の浸潤が届かない土地には、古いことが残る。

 

③「勘定をお願いします」などという言い方は、敬語の乱用ではないか。
何でお願いしなければならないのか。

そう敬語を使っていては、目上の人に言うとき、敬意を表したことにならなくなってしまう。(昨今の「●●させて頂きます」の乱発もその一つ)

 

④風景というものは、同じものは二度と決して見られないものだ。
来年の今月の今日、まったく同じ時刻に通ったとしても、天候も風の具合も光の加減も違っているだろう。
だから、まったく同じ景色というものは、決して二度と見られるものではない。(車窓に食い入るようにして柳田は日本を観察し、それを解説してくれる。屋根の形、瓦の様子、田畑のつくり、子どもたちの遊び。また、民俗学者の宮本常一も、村を訪ねたら高いところに上って全体を見よ、列車が駅についたら乗り降りする人々の様子をよく観察せよと言っている)

 

⑤柳田先生は、大学での講義のとき、学生の数がたった一人でも変わらぬ態度で接する。
50人、100人の学生を相手にするときでも一対一で話をするときでも、少しも態度に変わりがない。
これこそ真の大丈夫だ。

 

⑥柳田先生の資料と思考の整理方法は、1枚につき100文字の分類カードである。
何十年かの間、参考文献の中から問題別に袋を作り、その袋へ一つ一つ書き留めたカードを入れておかれるので、何百という数になる。(よく観察し、記録する。ときには虫干し、ながめ直せば、構想がまとまる。この方法は、川喜多二郎の「発想法」=KJ法・1967年よりも早い)


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