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【第158回】食の多様性と画一性を「たまご問題」 から見ると

液卵という言葉ご存じだろうか。また、ロング・エッグの方どうか。
猛威を振るった鳥インフルエンザで、「殺処分」した採卵鶏が全国の14%にも相当する1700万羽超となって、卵の価格が高騰した。
そこに浮上してきたのが液卵の問題である。

 

液卵とロング・エッグ

「液卵」とは、卵を割り殻と膜を取り除いて殺菌した卵のことをいう。
割っただけのを「全液卵」と、黄身と白身とを分離した「卵黄液」や「卵白液」、さらには、冷凍、乾燥、濃縮など加工度によって種類も多く、用途も広い。
ここでとくに注目したいのは、量販店のサラダや弁当などに添えられるゆで卵や卵焼きの原料となる液卵で、「二重になった筒」に黄卵と白卵を別々に充填し加工すると「輪切り卵」でどれも同じサイズになる。
これをロング・エッグといい、ラーメンやピザにも使われ、需要は増えている。
いわば「工場製品」で、原料になる液卵は「食の半導体」と呼ばれる。 

 

液卵は国産たまごの需給調整役だった

サイズが小さい卵は、これまで店頭では販売されず、業務用や加工用の液卵向けに回っていたが、鳥インフルエンザで店頭用が不足し、小さいものも店頭に回り、業務用に不足が出てきた。
その結果、国内では、家庭用と業務用の鶏卵の競合が起こって、このところ、液卵の輸入も増えてきている。(主力はブラジル)
液卵はプロの世界のことだから、これまで情報開示も甘かったが、一般流通まで視野に入れれば、殻付き卵のような生産履歴の開示も必要になる。

 

冷凍ハンバーグとたまご焼のかたち

つぎは食の多様性と画一性について触れたい。
ロング・エッグは画一の「輪切り卵」の原料になる便利なものだが、ここは、消費・需要サイドからの要請も反映している。
隣で食べている人と形や色合いが違うことを好むのか嫌うのかという問題でもある。

ずいぶん昔のことだが、ある有名な冷凍食品メーカーのハンバーグ工場見学に行ったとき、工場側から、「学校給食とかファミリーレストランでは、少しでもサイズ、形が違っているとクレームや騒動のもとになる」という説明があり、「逆に、ホテルや高級レストラン向けでは、隣の客と同じだと『これは既製品ではないか』と余分な苦情が出るので、調理・加工工場で、わざわざ異なる『型枠』を数タイプ準備して、ラインを走らせている」といわれ、<既製品であるにもかかわらず、手づくりでのような『錯覚』を与えること>に違和感を持った。
しかし、寸分たがわぬ学校給食用、いかにも「手づくり風」の高級レストラン向け、いずれもが食文化からはほど遠いといわざるを得ない。

 

転換期にある学校給食

欠食と捕食、栄養補給、完全衛生、個々人の差を無視した平等な量・内容、地域社会の特徴を反映しないセンター方式での集中管理とコスト主義の現状の学校給食を変えていく時期が来たようだ。
最近の例では、藤原辰史さんの京都府伊根町の理想の給食がうれしい。ランチルームには「レストラン風の名前」、自校で調理、地産地消、献立の説明と理解浸透、食後の感想、生産された田畑の見学など、やればできる。 
家に帰れば、老若・男女を問わず、調理に参加して、地域食文化を学ぶ、フードチェーンを通じるからこそ人間形成の「食育といえるのだろう。

 

みんなちがって、みんないい

NAFUでは、教育・研究の原点に「多様性の重視」を据えているが、その好例以下の二つではないだろうか。

黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」では、個々人の違いを尊重するトモエ学園での昼食時間の場面に、校長先生が、「みんな、海のものと山のもの、持ってきたかい?」と尋ねながら、それぞれの児童の事情を考えて食事のバランスを補正する。

そして、金子みすゞは、その詩集のなかで、「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」と歌っている。そういう世の中になりつつあるのではないだろうか。また、ぜひ、そうあって欲しい。


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