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【第160回】江戸の貨幣価値と4進法、10進法など


江戸時代の通貨は、西が銀、東が金とされていて、銭貨(鉄製)は補助貨幣です。
また、金と銀は、その時々で価値が変動します。
贋金の識別も含めて、両替商たちの苦労は大変だったでしょう。

 

もう一つ、モノの価値を測る尺度の決め方(値段)も、現代とはだいぶ違います。
これは、平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」にも、また、古今亭志ん朝さんの落語にも出てきますが、一般の商品では、「この醤油は1升○○文」と価格が表示されますが、おコメの場合は違っていて、「両に五斗五升(一両で五斗五升買える)」などの言い方をします。
これはお米自体が価値を測る手段(通貨代わり)であった名残りなのかもしれません。

歴史学者・網野善彦さんの解説によれば、中世までは、「貨幣はあっても交換手段は、<西ではコメ、東では絹が通貨代わり>だった」そうです。

 

さて、それでは、金、銀、銭貨幣の一般的な換算率、そして、2進法、4進法、10進法、12進法について、取り上げてみましょう。

 

江戸の通貨は4進法?

金貨、銀貨の一般的な交換(両替)関係です。
金の1両は銀の4分、銀の1分は銀の4朱に、そして、こちらは補助貨幣ですが、銀の1朱は銭(鉄)の250文で流通します。

1両の現代的価値は、5~10万円とも言われていますが、池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」に出てくる<遊び暮らして300両、2年は持つ>との名セリフなどから推測すると、もっと高く、25~30万円ぐらいかもしれません。(1両30万円で換算すると、300両=1800万円?)

 

みたらし串団子の数

つぎに、団子とそばの話をしましょう。
物価制限のあった江戸の売買では、「団子は1個1文」と決まっていたそうです。

一方で、流通量の多い銭貨(寛永通宝)の種類の一つに、「波形模様」の4文銭(しもんせん)、通称・波銭がありました。
波銭1枚で「みたらし団子」を買うとなれば、1串の団子の個数は「4個まで」となります。
1文40円とするといまの感じでは150~160円になります。
JR西の車載誌で富山県南砺の名物「みたらし団子」は、およそそんな値段でした。
二八そば」に当てはめると16文は640円、これはちょっと高いか。

この「波銭」は、寛永13年(1636年)に鋳造された寛永通宝ですが、長生きの貨幣で、幕末に至るまで、庶民の通貨として数多く流通しました。

 

和算と10進法、12進法

12進法は芸術的で、最も美しいといわれます。
2、3、4、6、そのいずれでも割り切れる」からです。
加算していくのには10進法がよくて、たとえば江戸時代の計算機の算盤は「1玉5つで5玉、5玉+1玉5つで桁が繰り上がり」の仕組みです。
コンピュータの仕組みは2進法と言ってよいでしょう。

割り算に便利な12進法は、布地の裁断など和の世界でも、1間が6尺(12の半分)、暦は12か月、時計は1回り12時間、1時間は60分と随所ですみ分けていますね。                  

 

消えた2000円札

「2」の話です。
2000年に発行が始まった「2000円札」ですが、沖縄県などごく一部地域を除き、ほとんど流通していません。
沖縄県の流通は、札の図柄が「守礼門」だからではないでしょうか。

5000円札と大きさの区別が不分明、小型化している自販機やATMの対応が十分でない、商店のレジの収納スペースがないが理由とされます。
それにしても、海外の諸国では、20ドル、20ポンド、200フラン、20マルク、20元、2000ドン、20ペソ、20バーツと、「2」単位の貨幣流通が盛んですし、日本も第2次世界大戦終戦までは、「2」単位の貨幣が多く出回っていましたから、とても不思議です。きっと慣れでしょうね。

 

最後に、10進法と絡み、余談ですが、10mm=1cm、100cm=1mと進むのが普通ですが、かつて、cmとmの間に「デシメートル」という単位が使われていました。10進法です。
竹製の30cm物差しに「3dm」と刻印されていたのを見たことがあります。(容量ではデシリットル)


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