学長コラム
【第166回】ディベートの起源
いま、教育の分野では「アクティブ・ラーニング」の機運が高まっており、高等教育における文部科学省の指導(学習指導の改訂)でも、「修学の主体的な学び」として、①発見学習、②経験学習、③調査学習、④グループディスカッション、⑤ディベート、⑥グループ・ワークなどが推奨されています。
①~⑥まで、新潟食料農業大学の教育では、すでにその趣旨を組んだ取り組みが行われていると考えています。具体的には、
- 先生に聞かれて答えるより「質問」「提案」しよう。
- キャンパスを飛び出して現場に学ぼう。(体験学習、調査学習)
- 小さなゼミでグループ・ワーク、ディスカッション等です。
そして、グローバル化が進展する状況下では、欧米で重視されている<交渉技術としてのデイベート>と<主張し行動するTell & Shaw>が、わが国でもいずれ大きな地位を占めることになると予想します。
また、最近は、かなりの大学、高校に「ディベート部」がありますし、「ディベート合戦」も盛んに開催されていると聞きます。
この方向は、これから否応なく辿らざるを得ないと思います。
沈黙は金なり
余談になりますが、手元の「英語ことわざ辞典」を見ても、日本では有名な「沈黙は金なり」にピタリと合う翻訳はありません。
他方、インターネットには、反対の解釈、例えば「沈黙は金でしかないが、雄弁は、(最も価値の高い)銀である」とあって、真逆ぶりには驚かされます。(アテネのデモステネス)
中国産のベート ‐ 歴史は古い
さて、こう見て来ると、なにやら「ディベートの起源は欧米にあり」のように思えますが、実は、その起源は中国で、しかも、古代中国にまで遡れそうです。(漢詩の講義・石川忠久・2002年4月 大修館)
「玄談」 がデイベート?
そこで、漢詩の大家・石川忠久先生の説を要約します。
中国の六朝時代(後漢滅亡~隋成立までの混乱期、3~6世紀)、最も流行っていたゲームが「玄談」、これは、あるテーマを決めて、肯定する派と否定する派とで言論を戦わせるゲームである。
行司役は、身分の高い年配人がやる。
テーマに選ばれるのは、老荘思想のような玄妙なテーマが多かったという。
論争が進み、判定が下るとき、審判役の持つ「判定具」は鹿の尻尾がつている「払子」で、これを振る。
この鹿の尾を「シュビ」というそうだ。
(渡辺注)それで「シュビよく」が転じて「首尾よく」なのでしょうか?
禅宗の「公案」 ‐ 仏教での問答
わが国で「高度に極められた」のが、「問答」=禅宗などでは「公案」でしょう。
こちらは師匠と弟子との命を掛けたギリギリの「卒論」と言えるかも知れません。
中国の国際交渉力
さすがは悠久の歴史を持つ中国、すごいです。
最近の国際情勢への対処、あの外務省報道官の発言ぶりを見ても、「一帯一路」と中華思想、アメリカ、ロシアとの対等を超えたと見える交渉術には、返す言葉もありません。