学長コラム
【第4回】大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024
「日本に向けて北を定めよ(74°33’2”)」 リチャード・ウィルソン(英国) 4年前に訪れた時と同じように強いエネルギーを発していました。
7月23日連携協定締結のために、津南町を訪れました。その道すがら「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024」ののぼりを見つけました。2020年8月には、本学の2年生が制作した「十日町市の地域資源発見ツアー」のコースを辿って、いくつかの作品を見に行きましたので、今回は山沿いのエリアを中心に十日町・津南から秋山郷まで訪れることにしました。
今回は、印象深かった「ポチョムキン」と「カクラ・クルクル・アット・ツマリ」ダダン・クリスタント(インドネシア)について書くことにします。
私は20代には近代美術にほとんど興味を持っていませんでしたが、カンディンスキーの「スカイブルー」という絵に出会ったことをきっかけに大きく変わりました。この絵には、いずれも偶然なのですが、1985年にニューヨークのグッゲンハイム美術館、1986年にポンピドゥーセンターにあるフランス国立近代美術館、1987年に東京国立近代美術館と3年のうちに3回も出会っています。当時はとくに人気があり、所蔵館のフランスから海外の展示会によく出展されていたのでしょう。
私は、くすんだ水色に浮かぶ原生動物や昆虫、亀、鳥の様な生物らしきものたちの世界に引き込まれました。これは、このような生物を顕微鏡を通して観てきたことが一因なのかもしれません。顕微鏡、とくに位相差顕微鏡や蛍光顕微鏡の下には、驚きに溢れたこの上もなく美しい世界が広がることがよくあります。
この絵を通して、芸術は、頭で理解しようと努力する必要はない、心を開いて感じればよいのだと悟りました。時代背景や作者の思想は重要ですが、まずは、感じることを優先して芸術作品に接するようになりました。
「ポチョムキン」と「カクラ・クルクル・アット・ツマリ」には、大きな何かを感じました。また、今回はそれをきっかけに多くのことを考えさせられました。
ブナとポチョムキン
初めに訪れたのは、十日町市倉俣にある「ポチョムキン」、制作はカサグランデ&リンターラ建築事務所(フィンランド)です。廃校になった倉俣小学校の向かいの田んぼと川の間に佇んでいます。
強い夏の陽に照らされた錆びた鉄板と鉄骨、その間に立つブナの大木。分厚い鉄の板がボルトで繋がれて壁を作り、その壁は長く伸びて高さを変え、土の中に消えてゆく。その壁の内側には鉄壁に囲まれた空間と鉄骨に支えられた鉄の屋根と板の床を持つ部屋。長い壁は大型船の船側部の外板、鉄壁の空間と部屋は船の内部構造にも見え、大地から古く錆びた船艦が躙り出ようとしているかのようです。
ポチョムキンのブランコ
文明の発展と環境破壊の狭間に置かれて苦悩している今の世界を、旧い鉄の時代に力を持った戦艦が解決するべく現れようとしているように思えました。しかし、力で環境を改変し、人間の欲望を形にしてきた鉄の文明は今の世界の問題を解決することはできないでしょう。そのような葛藤のために、土から現れようとしている戦艦が全身を現すことができずに停っている。しかし、まだ、その力は失っておらず、土から這い出ようと蠢いているようにも見えます。ただ、土中から立ち上がった太い鉄骨の枠には、古タイヤのブランコが銀色に輝く鎖でぶら下げられて公園と化しており、もうしばらくはこの戦艦が動きだすことはないようにも思えます。
人の力で自然を含む多くのものをねじ伏せてきた西欧的な力とその挫折をここで感じました。
カクラ・クルクル・アット・ツマリの小径
次に訪れたのは、十日町市の清田山中腹の「カクラ・クルクル・アット・ツマリ」です。「ツマリ」とは、十日町市と津南町からなる地域の名称「妻有」です。
作者のダダン・クリスタントが故郷バリ島で収穫の感謝のために神に捧げる竹製の風車をこの妻有の地に作ったのです。
棚田の間の小径に沿って、90本ほど竹竿が立てられ、その上部に風車が乗っています。風車の軸には、4カ所に自由に動く竹の板が取り付けられ、これが、竹琴を叩く仕組みです。また、軸から伸びた針金が、風車の上に乗った人形を動かし、人形の手から伸びた紐が鶏や豚、犬などの首を動かします。
車から降りると丁度、谷からの強い風が吹きました。
竹琴は様々な音程を持ち、驚くべき大きな音で賑やかな音楽を奏でます。風車の上の人形は、逆光で見るとバリ島の影絵芝居の様で、音楽にのって人と動物が踊る素朴な舞台が繰り広げられます。ここに現れた世界に引き込まれ、カクラが立ち並ぶ小径がバリ島の田畑に繋がるのを感じました。強い夏の光の下、素朴な音に包まれ、風に吹かれて心地よい時間を味わいました。
カクラの風車と人形
棚田はアジア型農業の一つの形です。アジアの農業は、基本的には自然と共生して、持続的な生産を行ってきました。のんびりとした中にも自然を守り続け、自然と共に生きて行く人間の姿がアジア型農業の中にあります。
ポチョムキンには自然を征服することによって生きる道を築いてきたヨーロッパ文明、カクラには自然と共生しながら生きてきたアジア文明が感じられます。
農業や人間生活と環境との関係を考える時、われわれは、ヨーロッパ一辺倒ではなく、アジアや日本の人々のこれまでの生き方や考え方をもう一度見直す必要があります。
(中井ゆたか)