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【第6回】下鴨神社のラグビーの神様

下鴨神社舞殿(手前)と幣殿



下鴨神社

 世界分化遺産登録30周年を記念して、神様の台所である大炊殿(おおいどの)が特別公開されていると聞いて、下鴨神社に行ってきました。
 下鴨神社は、京都最古の社の一つで、正式名称を「賀茂御祖神社」。「賀茂」は古くから「鴨」と表記され、賀茂川の下流にあることから下鴨神社とよばれています。参道は柔らかい広葉樹の緑に包まれており、他の神社の杉並木の厳然とした雰囲気とは異なる平安の優美を感じます。
 楼門から特別参拝所に入り、本殿斜め前から本殿を参拝。
 本殿は、東本殿と西本殿の2社からなり、いずれも同じ形式です。屋根は「へ」の字の様に前方に向かって長く流れる流造(ながれづくり)で、全国の神社の原型の形式です。
 下鴨神社は上賀茂神社から分置されたもので、上賀茂神社の祭神の賀茂別雷大神(かもわけいかづちおおかみ)の母神の玉依媛命(たまよりひめのみこと)が東本殿、祖父神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が西本殿に祀られています。賀茂別雷大神が鎮座する上賀茂神社から見て、左側、すなわち東側が上位になりますので、母神を上位として、こちらに置いたのでしょう。
 左右、東西どちらが上位であるかは混乱しがちですので、整理しておきます。
 古来日本では、左および東を上位としてきました。神や天皇などの最上位者は北側に位置し、南を向いて立ちますので、最上位者から見て左手側、東側が上位です。参拝する側から見ると右側ですので混乱しますが、あくまでも主体は最上位者です。
 たとえば、平安宮内裏の紫宸殿(ししんでん)の前庭に左近の桜、右近の橘がありますが、紫宸殿から見て左、東側に桜が植えられています。また、日本の律令制において、左大臣は右大臣より上位であり、左が上位です。ひな人形でも左大臣はお内裏様から見て左側(ひな壇に向かって右側)に置かれます。現在の芸能や式典の舞台においても舞台奥から見て左側(客席から見て右側)が上座です。能舞台でも舞台奥から見て右側が登場口で左側が本舞台です。相撲の番付においても、同じ階級であれば東が上位です。
 このように、古くから日本では、左および東が上位です。
 ただ、厄介なことにヨーロッパでは右上位をとっており、これに倣って、明治維新以来、天皇は右(向かって左)、皇后は左に立つようになりました。国旗と校旗の2つの旗を掲揚する場合は、舞台奥から見て右側(向かって左)に国旗を置きます。オリンピックの表彰式でも金メダリストの右手に銀メダリスト、左手に銅メダリストが並ぶのは同じ考え方です。

 本殿の後に、大炊殿を拝観しました。これは、神社建築としては珍しい神様の台所です。食の総合大学を目指す本学として、興味深く眺めてきました。大炊殿に関しては、またの機会に書くことにします。



ラグビーの神様

 帰りは参道を外れて、下鴨神社の南に広がる糺(ただす)の森の中の流鏑馬(やぶさめ)用の馬場を歩きました。そこに「第一蹴の地」の石碑を見つけました。これは関西ラグビー発祥の地を表すものです。明治43年(1910年)、京都大学の前身の旧制第三高校の学生が慶應義塾大学蹴球部の副主将からラグビーを習った地です。

 石碑の横にある雑太社(さわたしゃ)に詣で、本学の男子ラグビー部の必勝を祈ってきました。雑太社の祭神は神魂命(かんたまのみこと)で、「魂」は、「球」に通ずるとして、球技上達の神徳があるとされています。
 この御利益が早速現れたのか、本学の男子ラグビー部は、9月22日に行われた関東大学ラグビー連盟3部リーグ戦の第2戦では、東京都立大学に104対0と大勝しました。
 この後、リーグ戦5試合、入れ替え戦と続きますが、きっと2部への昇格を勝ち取ってくれると思います。


雑太社の賽銭箱はラグビーボール型です。



 なお、山城国風土記によると、下鴨神社に祀られる賀茂建角身命は、八咫烏(やたがらす)に化身して神武天皇の東征を導いたとされています。
 八咫烏は日本サッカー協会のシンボルマークですので、下鴨神社は広く球技に縁があるのかもしれません。ただ、日本サッカー協会は昭和6年(1931年)に、日本にサッカーを広めた中村覚之助の出身地である熊野(和歌山県那智町浜ノ宮)にちなんでシンボルを八咫烏としたとありますので、直接の関係はないようです。

(中井ゆたか)


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